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【長編小説】MACHINE HEART 警視庁捜査一課ロボット犯罪捜査班 ①

更新日:7月20日

Case:01 ANDROID HACK


       1


 警察官にだけはなるな、と父はいった。

 中学三年生だった私は、父の言葉に込められた意味を理解しようともせず、反抗的に見つめ返した。

「私が、女だから?」

 食卓には静寂がおり、母は困ったように双方に視線をはしらせた。

 父が次の言葉をつむぐことはなかった。ただ、食事を再開した。

 私は自分の部屋に駆け込み、悔し涙を流した。

 警察官になることが、私の夢だったからだ。

 警視庁捜査一課殺人犯捜査係で働く、父の背中にあこがれて。

 あのとき、私は父に話のつづきをうながすべきだった。

 父と話す機会は、あれが最後だったのだから。

 朝食を終え、出勤した父が帰ってくることは、ついにはなかった。

 その日の夜、父は殉職した。担当していた事件の犯人に、殺されたのだ。

 私は、私のなかの父に問いかける。

 自分はまちがっていることをしているのだろうか、と。

 もちろん、答えが返ってくることはない。

 フィルターに近づいた灰を落とし、煙草を口元に運んだ。

 紫煙が肺を満たし、排出されてゆく。煙草を捨てると、喫煙室の外に出た。

 私は今、警視庁本部庁舎にいる。父の言葉に逆らって――。


 西暦二〇三五年、四月。

 岸原那々(きしはらなな)は、スーツのえりをなおしたあと、新しい職場のドアをノックした。

 表札の白いプレートには、『ロボット犯罪捜査係』と記されている。

 一年前に、捜査一課内に創設された、ロボット犯罪を専門に扱う部署である。

 あらゆる場所に、多種多様なロボットが普及した現在、ロボットを犯罪に利用するケースが増加している。ロボットの多くは、インターネットに接続する機能をもっているため、ハッキングによる遠隔操作、情報の窃取、またウイルス感染などの脅威にさらされている。

 巧妙な手口をつかい、犯罪者たちは現場におもむくことなく違法行為をはたらく。間接的にリアルに関わっているためか、罪悪感は稀薄であり、軽い気持ちで犯罪をおこなう者もあとをたたない。

 そうした状況に、警察は対抗策を打ち出した。ロボット犯罪を専門とする部署、ロボット犯罪捜査係――通称、ロボット犯罪捜査班の創設である。

 岸原は、そのオフィスをまのあたりにしていた。ドアノブをにぎったまま、岸原の身は固まった。

 部屋にいたのが、岸原をのぞいて三名だけだったからだ。

 部屋の中央には、四台のデスクがまとまって設置されている。だが、座っているのはふたりのみ。奥にはもう一台のデスクが、全体を見渡せるように据えられている。係長の席なのだろう。モニターの影に隠れて顔は見えないが、カチャカチャとせわしなくキーボードをたたく音が聞こえてくる。

 おずおずとドアを閉めると、岸原は敬礼した。

「本日付で、ロボット犯罪捜査係に配属となりました、岸原那々です」

 岸原は、なめられないように堂々といった。その声でようやく気づいたのか、奥のデスクの人物が腰をあげた。

「ああ、岸原君か。よくこの係を希望してくれたね」デスクを回り込み、彼女はいった。「係長の安藤だ。よろしく頼むよ」

 意外なことに、係長は女性だった。しかも、驚くほど若い。顔にはしわのひとつも認められないし、ウェーブがかかった髪はつやをおびている。身体はほっそりとして、ひきしまって見えた。二十代といってもいいぐらいだ。

安藤は知性的な瞳を輝かせ、岸原にたずねた。

「上司が女性であるというのは、同じ女性である君でも不満かね」

「いえ、そんなことはありません。ただ、すこし驚いただけです」

「なににだね?」

「とても……お若いことに」

 失言をしたかと思ったが、安藤は微笑した。

「ここはそういう部署なんだよ」

 岸原は、警察内でささやかれていた噂が、本当であることを悟った。

「うちのメンバーを紹介しよう」

 安藤は得意げにいい放ち、パソコンの画面をかじりつくように見つめていた男に手を向けた。

「秋葉だ。いい加減、くだらないアニメを見るのはやめたらどうだ?」

「いいところだったのに」秋葉と呼ばれた男は、イヤフォンを外すと、だるそうに立ちあがった。「秋葉真人(あきばまさと)。二十四歳。階級は巡査。元サイバー犯罪対策課の捜査員で、今はロボット犯罪メインで仕事してます。情報戦とか、セキュリティ対策とかね。簡単にいえばハッカーの逆。ホワイトハッカーってわけですよ」

 本当に職場でアニメを見ていたのだろうか。それはさておき、警察とは思えない風貌をした男だった。スーツを着ているのだが、なぜかジャケットではなくパーカーをはおっている。髪は肩にかかるほど伸び、清潔感とは無縁だ。

 秋葉は早足で岸原に近づき、眼鏡のふちを指でつまんだ。

「岸原さん、思ったよりも美人ですね」

 岸原の背に、ぞくっと冷たいものがはしった。

「ま、バーチャルほどではないですが」

 そういい捨て、秋葉は自席にもどった。安藤はいった。

「気持ちは悪いが、優秀なやつだ。そして、秋葉のとなりにいるのが向井(むかい)だ」

 向井と呼ばれた男は、椅子の背に身体をもたせかけ、手前に座る秋葉の影から姿を見せた。

「向井五郎(むかいごろう)だ。よろしくな」

 それだけいって、向井は椅子をもどした。ずいぶんと無愛想な態度だ。しかし、新人に対する態度など、そんなものだろう。

 岸原は所轄警察署で二年、刑事をやっただけだし、階級はもっとも低い巡査だ。年もまだ二十四歳。ひよっこというわけだ。こんな自分でも、警視庁捜査一課に異動できたことを、感謝しなくてはならない。

 ちらりとしか確認できなかったが、向井もまた若かった。三十歳程度だと思う。無精ひげを生やしてはいたが、精悍とした顔つきをしていた。鋭い眼は、いかにも刑事といった感じだ。

 岸原は、素っ気ないあいさつにも関わらず、向井に好感をもった。というのも、シャツの胸ポケットに、煙草が入っていたからだ。岸原と同じ喫煙者ではないか。煙草を吸う者など、いまや絶滅危惧種に近い。

「補足をすると」安藤はいった。「向井は巡査部長で、警官としてはベテランだ。困ったときは頼りにしていい。メンバーはあともうひとりいるんだが……。あいつはまた遅刻か」

 しかめ面で、安藤は携帯型端末を取り出した。遅れている人物に、連絡をとるつもりなのだろう。岸原はたまらず訊いた。

「それではこの係は、私を合わせて五人しかいないということですか?」

「少数精鋭ってやつさ」

 声がしたのは、うしろからだった。岸原は振り返った。そして、絶句した。

「風間(かざま)、十五分遅れだ。説明してもらおうか」

 安藤の詰問に、その男――いや、その少年はこともなげに答えた。

「別件の捜査さ」

「その理由を聞くのは、これで十二回目だ」

「おーこわ。カウントしてやがる」

 風間は岸原を見上げた。そうしなければならないほどに、風間は小さかった。一六〇センチにも満たない程度の身長だ。

 身長が低いのも、当然に思えた。まだ成熟していないのだから。

 風間は明らかに、子供だった。高校一年生ぐらいの。

「プロフィール見たぜ。岸原那々っていうんだろ。高校卒業後、警察に入って交番勤務。のちに渋谷署の刑事課に異動。まあまあ、がんばってたらしいが、凡庸なプロフィールだな。身長以外は。一七二センチもありやがる」

 岸原は、風間をまじまじと見つめた。見れば見るほど幼い。ほうぼうにはねた短いクセ毛の髪型は、無理しておしゃれをした高校生そのものだ。身に着けているトレンチコートは、下手な刑事コスプレとしか思えない。

 安藤を振り返り、岸原は大声でいった。

「ただの子供じゃないですか!」

 秋葉はぼそりとつぶやいた。

「それは禁句ですよ」

 風間は手をのばし、岸原の襟首をつかんで、ぐいとひきよせた。

「おれはもう二十五歳なんだよ。おまえより年上。階級も上だ。風間秀(かざますぐる)警部補。おぼえておけよ、ド新人が!」

 安藤はため息をついた。

「岸原君、噂には聞いていただろうがね――」

 ひとつせき払いをすると、安藤はいった。

「ここにいる人間はすべて、サイボーグなのだよ。むろん、君をのぞいてね」


       2


 ロボット犯罪捜査班が新設された当初、所轄署には様々な風説がながれた。なかでも話題にのぼったのは、構成メンバーがみな、サイボーグらしいということだ。

 人種差別があるように、サイボーグ差別もまた存在する。生身の人間より身体能力がすぐれた彼らは、少数派であることも重なり、社会でのけ者にされがちだ。警察もその例外ではない。

 サイボーグたちを寄せ集め、ロボット犯罪を担当させるという名目で隔離する。上層部のねらいは、そこにある――というのが、もっぱらの噂だった。

 それでも岸原は、ロボット犯罪捜査班への異動を強く希望した。岸原には、ロボット犯罪にこだわる理由があったのだ――。

「サイボーグとは」と安藤はいった。「身体の一部、またはそのほとんどを機械化した人間のことだ。前者を部分サイボーグ、後者を全身サイボーグという。風間はな、世界でも類をみない全身サイボーグだ」

 岸原は、あらためて風間を見つめた。生身の人間と、なんらちがいは感じられなかった。

「風間は脳以外のすべてを機械化している。しかも、ただ置き換えただけじゃない。十五歳だったときのボディを造り、それに脳を移植したんだ」

 風間は岸原をにらみつけた。

「これで理由がわかっただろ。おれはガキじゃねえ。中身はちゃんと大人なんだよ」

「でも……、なぜそんなことを?」

 実年齢よりも、はるかに若い身体を選択する理由など、岸原には見当もつかなかった。すこし若返りたいという気持ちならわかる。だが、十五歳となれば話は別だ。子供と見まちがわれる危険を冒してまで、なぜ全身サイボーグとなったのか。

 風間は答えず、むすっとした顔で岸原の脇を抜け、自分のデスクについた。

「新入りに教える義理はねえよ」と風間はいい捨てた。

「岸原君が捜査すればいいさ」安藤はほくそ笑んだ。「ちなみに私は頭部、両腕、両足だな。胴体以外すべて機械化している。ちょっと若めにつくってあってね。むろん、風間ほどではないがな」

 両手をつきだして、秋葉がいった。

「僕はこの両腕です。タイピングしてもぜんぜん疲れないし、腱鞘炎にもならないから、超便利っすよ。あとは両眼です。視力低下とはおさらば。何時間でもモニターをながめてられます」

 一度瞬きしたあと、岸原は訊いた。

「じゃあ、なんで眼鏡をかけてるんですか」

「はは。決まってるでしょ。ファッションですよ」

 岸原の背にまた、ぞくっと冷たいものがはしった。

「俺は、上全部だな」と向井が短くいった。

 おそらく、上半身すべてを機械化しているという意味だろう。それにしても、口数の少ない男だ。

「生身の女に、なにができるっていうんだよ」

 岸原は声の主に、きっと視線を送った。

 風間は頭のうしろで手を組み、だらしない格好で座っていた。

「この係はな、いかれたロボットを始末するために戦うことだってあるんだ。場合によっては、人間より手強い相手だ。だからここには、ふつうの人間以上の能力をもった、サイボーグしかいねえんだよ」

 風間は椅子を回し、岸原と向き直った。

「おまえはオフィスで事務でもやってりゃいいのさ」

 岸原は手をぐっと握りしめ、ふるえる声でいった。

「生身であることはかまいません。でも、女をばかにしないでください」

 風間はわざとらしく、口笛を吹いた。

「おーこわ」

 安藤が、風間の肩に手を置いた。

「こう見えて、私も女なんだが?」

「忘れてましたぜ、ボス」

 子供の身体をした大人は、反省の色もみせなかった。安藤はいった。

「岸原君、心配は無用だ。私は君の実績を評価し、配属を許可した。君なら生身であっても、ロボットと渡り合えるだろう。多少の危険はともなうがね」

「覚悟の上です」岸原は、きっぱりといった。

「だが、私怨は禁物だよ」

 安藤は眼を細め、警告した。風間がいった。

「そうそう、捜査は感情的にやっちゃだめだ。論理を積み重ねて、犯人を割り出す。これが基本さ」

 安藤は、風間の肩に指をくいこませた。

「おまえもな、風間」

「痛えな! パワハラじゃねえか!」

 ざまあないと岸原は思った。男女差別など、あまりにも古くさい考えだ。

「大丈夫ですよ。この係には、あんまり事件はまわってきませんから」

そういったのは秋葉だった。モニターを見ているが、どこか遠い目をしていた。

「他の係の連中は、新手の部署に手柄を獲らせたくないんですよ。まあ別に、仲間はずれにされてもいいんですけどね。給料はもらえるわけだし」

 どおりで暇そうなわけだ。

捜査一課に配属となり高揚していた気分が、冷めてしまうのを岸原は感じた。ここにきたのは、まちがいだったのかもしれない。

 そのとき、壁面スピーカーから音声が流れた。

『通信指令本部より各局。新宿署管内、総和銀行新宿支店にて、ロボットによる立てこもり事件発生。詳細は、各端末に送信したデータを確認せよ。繰り返す――』

 秋葉は、眼鏡を指で押しあげた。

「ま、こういうこともありますよ」


 オフィスの空気が、一気に張りつめた。

「状況確認といこう。と、その前に――」

 安藤は、引出しから携帯型端末をとりだし、岸原に投げてよこした。

「新しい端末だ。すぐに同期させたまえ」

 手早く携帯を起動させると、岸原はタッチスクリーンを操作し、コンタクトレンズとの同期を行った。

 目は悪くないが、岸原は両眼にコンタクトレンズをはめている。このコンタクトレンズは、ARコンタクトと呼ばれ、画像データや映像データを受信し、表示する機能をもっている。この時代では、特に珍しい代物ではない。通常のコンタクトレンズをつけている者のほうが少ないほどだ。

 安藤のデスク前に、仮想ディスプレイが立ち上がった。現場の映像が、表示される。その映像は、現場に駆けつけた警察官の視界のようだった。ARコンタクトは携帯と同期することにより、視界を記録し、送信することもできる。

 銀行の前に、警備員らしい男性が立っていた。リボルバーを構え、威嚇するように左右に振っている。男はこう繰り返していた。

『この銀行に立ち入れば、容赦なく人質を射殺する。この銀行に立ち入れば、容赦なく人質を射殺する。この銀行に立ち入れば――』

「アンドロイドか」と風間はいった。

 アンドロイドとは、人間酷似型ロボットのことだ。限りなく人間に似せて造られているため、外見ではロボットと判断することが難しい。

「この銀行では、六体のアンドロイドが運用されている。一体は警備用、残り五体は事務および接客用の行員アンドロイドだ。勤務している人間はたったひとり、支店長のみだ」

「完全無人化すればいいのに」と秋葉。

「六体のアンドロイドは、なんらかのウイルスに感染し、犯人によって遠隔操作されている」

「銀行内の様子は?」と風間。

 安藤は携帯を操作し、別の映像に切り替えた。銀行内の監視カメラのようだ。

 ロビーには、三人の客がいた。頭に手を組み、ソファーに座っている。その背後には、三人の女性銀行員――いや、三体の行員アンドロイドが立っている。それぞれ、客の頭に拳銃を突きつけていた。

「こりゃ、だいぶまずいっすね」と秋葉。

 カウンターの奥に、もう一体の行員アンドロイドがいた。不気味に首を左右にめぐらし、全体を監視している。そのさらに奥――オフィスでは、パソコンに向かっている支店長に、銃口を向けているアンドロイドがいる。

「拳銃はすべて、本物でしょうか」

 岸原の発言を、風間は鼻で笑った。

「3Dプリンター出力の模造拳銃だよ。つくりの粗さでわかるだろ」

 秋葉はしきりにうなずいた。

「便利で安価な3Dプリンターが普及したせいで、もはや日本も銃社会。組み立てが困難なオートマチックじゃなく、リボルバーばかりなのがせめてもの救いですかね」

 岸原は、負けじと発言した。

「犯人の目的は、金庫から現金を盗むことでしょうか」

「ちがう」と安藤は一蹴した。「アクセス権限をもつ支店長を恐喝し、指定の口座に不正送金をするのが目的だろう」

「不正送金ですか」岸原は眉根を寄せた。「でも、ロボットをハッキングできるほどの犯人なら、そんな回りくどいことをせずに、ネットバンキングをねらったほうが……」

「たしかに」と秋葉。「リアルでやることに、意味があるんですかね」

「あるいは、ロボット犯罪であることに」と向井はつぶやいた。

「犯人は特定できていない。だが、現場に銃をもちこんだ人物がいる。十分前、監視カメラに、フードをかぶった黒ずくめの男が映っていた。バッグに入れていたリボルバーをぶちまけ、すぐさま逃走。所轄が追跡を開始している」

 携帯を確認して、向井はいった。

「その男が銀行を出た直後、アンドロイドが銃をひろい、立てこもり事件が発生。時間的に考えて、その男が主犯じゃないな」

「共犯ですか」と岸原。

「もしくは、その男もアンドロイド」と秋葉。

「いずれにしろ、犯人につながるかもしれん。概要は以上だ。さて、メンバーのふりわけは――」

 安藤を遮り、風間はいった。

「ボス、立てこもりはSIT(特殊犯捜査係)の管轄ですぜ。おれたちの出る幕じゃない」

 風間をにらみつけ、岸原はいった。

「なにをいってるんですか。早く行かないと、人質が危険です!」

 風間は大げさに、肩をすくめた。

「おっと、ひとついい忘れた」安藤は不敵に笑った。「一週間前に、ネット掲示板で犯行予告があった。『総和銀行でロボットの反乱が起こる』、とな。ハンドルネームは、『魔術師(ネクロマンサー)の弟子(フォロワー)』」

 風間は椅子を離れた。

「先にいってくれないと。向井、現場に行くぜ」

 部屋から出ようとする風間を、安藤が呼び止めた。

「人員の配置を決めるのは、係長である私だ。風間は岸原と現場へ」

 ふたりは、同時にうめいた。かまわず、安藤はつづける。

「秋葉はここで、犯行予告のあったネット掲示板のログから、発信源を突き止めろ。向井は黒ずくめの男を追え。私はここで指揮をとる。返事は?」

「はい!」

 四人の声が重なった。安藤はいった。

「ロボット犯罪捜査班、出動だ」


       3


 赤色灯を点滅させ、風間は覆面パトカーを驀進させた。運転席を前に押しだし、荒い手つきでステアリングを回す。助手席に座る岸原は、不安でいっぱいだった。そもそも、少年が車を運転していいものだろうか――たとえ中身が、二十五歳の成人男性であっても。

〝ネクロマンサー〟、その名前を聞いた途端、風間は捜査に意欲的になった。ネクロマンサーといえば、二年前に『アンドロイド連続自爆事件』を引き起こした凶悪犯罪者だ。

『アンドロイド連続自爆事件』は、史上最悪のロボット犯罪だった。

 ネクロマンサー――高度なハッキング技術をもった人間を魔法使い(ウィザード)と呼ぶが、これにちなんだネーミングだと考えられている――を自称する犯人は、アンドロイドの内部に爆弾をしかけ、遠隔操作によって街中で爆破させた。計五体のアンドロイドが使用され、死者五十三名、重軽傷者百名以上という、甚大な被害をもたらした。

 ネクロマンサーは一連の事件を、ロボットによる聖戦であると主張した。人間に隷属しているロボットたちが怒りを抱き、反乱を起こした――と。ネクロマンサーは、ロボットに心があると、人々に思い知らせようとしたのだ。

『マシンハート(機械の心)は存在する』。それが、ネクロマンサーの主張であり、信条だった。

 しかし、計画は失敗に終わった。人々はアンドロイドを恐怖し、ロボット排斥運動が激化した。ロボットが追放されてしまうのは、ネクロマンサーの意図するところではない。ネクロマンサーは消息を絶ち、ロボット排斥運動は鎮圧化した。

 警察はいまだ、ネクロマンサーを逮捕するどころか、その正体さえつかめていない。

「風間さんは、ネクロマンサーにこだわってるんですね」

「あたりまえだ」と風間は答えた。「ロボット犯罪捜査班が創設されたのは、『アンドロイド連続自爆事件』の翌年。つまり、そのための組織ってことさ」

「でも、反応が過剰でしたよ。他のメンバーにくらべて」

「奴には借りがあるのさ」急カーブで、車体が大きく揺れた。「今回の事件で、奴のしっぽをつかめるかもしれねえ」

「ネットにはびこるネクロマンサーの熱狂的支持者――弟子(フォロワー)ですよね。犯人は、ネクロマンサーとなんらかのつながりがあると?」

「可能性は低いがな」

 今度は急ブレーキで、あやうくダッシュボードに頭を打つところだった。交差点前で、車が渋滞していた。

 車窓からは、歩道を行き交う人々の姿が見えた。だが、きっとこのなかには、アンドロイドも混じっているのだろう。

「今のうちに、試しておけ」と風間はいった。「識別だよ。携帯は?」

「ジャケットの内ポケットに。背面を前方に向けてます」

「OK。うちで採用してるのは、マイクロ波識別法だ。携帯の背面から照射されるマイクロ波で、脳波を測定し、人間かロボットかを識別する。識別対象を注視すれば、システムが自動的に作動する。最大有効距離は十メートル。重要なのは、識別にきっかり三秒かかるってとこだ。やってみろ」

 窓側に上半身をひねり、岸原は歩行者を見つめた。ひとりで道を歩いている青年に、視線を合わせてみる。輪形のグラフィックが頭部を囲み、視界下端にタイムゲージが表示された。ゲージ中央には、経過時間が秒数で示されている。緑色のバーが伸び、ゲージがいっぱいになると、青年の顔に重なるようにして文字が現れた。

〈HUMAN〉

「年寄りと歩いてる若い女がいるだろ。きっと介護用アンドロイドだぜ」

 風間のいった女性が、車の横を通り過ぎる。祖父を連れた孫娘のように見える。岸原は識別してみた。きっかり三秒で、識別は完了した。

 〈ROBOT〉

「慣れてくれば、識別しなくても動作でわかるさ。身体(ハードウェア)はよくできてても、運動を制御する頭脳(ソフトウェア)が不完全だから、どこかぎこちなさが残る。だが、仮に挙動でわかったとしても、識別はかかすな。人間をロボットだと誤認しちまったら、笑い事じゃすまされねえからな」

 信号が青に変わると、風間は強引に前の車を抜いた。

「ま、今回の事件はアンドロイドだと確認がとれてるけどな。識別するに、越したことはないが」

 突き当たりのT字路に立つ、総和銀行新宿支店が見えてきた。ガラス張りの外観が、周囲から浮き立っている。銀行前には、所轄のパトカーが数台止まっていた。押し寄せるやじ馬を追いやる、制服警官の小さな姿もうかがえる。

「現場に着いたら、どうするつもりなんですか」

 風間は答えず、逆に訊いた。

「岸原、捜査で一番重要なことって、なんだと思う?」

 唐突な質問だった。すこし考えたあと、岸原はいった。

「正確さ、ですか?」

「残念。スピードだよ」

 風間は、アクセルをがんと踏みつけた。

車が急加速し、岸原の背中がシートに押しつけられる。

 なにが起きているのか、岸原にはわからなかった。

 けたたましくサイレンを鳴らし、全速力で車は進む。

 現場が接近しても、風間はブレーキを踏もうとしない。

 透過ディスプレイとなっているフロントガラスに、警告の文字が浮かんだ。

〝DANGER〟

 やじ馬が割れ、制服警官も慌てて逃げ出す。

 車載無線機をとり、風間はいった。

「ロボット犯罪捜査班、これより――」

 歩道に乗り上げ、車が宙に浮いた。

「――臨場する」

 警備員アンドロイドは、銃を撃つ間もなくバンパーに激突し、フロントガラスを跳ねた。

 そのまま車は、銀行に突入した。

 ガラスの壁は砕け散り、破片を空中に四散させる。

 風間はブレーキを踏んだようだが、止まるはずもなく、正面のATMコーナーに頭から激突した。

 エアバッグが作動し、衝撃をやわらげる。岸原は、あやうく意識を失うところだった。

 風間は運転席をこじ開けると、ロビーに向けて拳銃を構えた。

 三体の行員アンドロイドが、一斉に、銃口を風間にそろえる。

 銃声が三発、銀行に轟いた。

 岸原が車から出たとき、三体のアンドロイドは、すでに床に倒れていた。

 眉間に穿たれた穴から、わずかに煙がもれている。

 最初の空薬莢が落ちるより前に、風間はロビーに走った。

 カウンターにいる行員アンドロイドは、立て続けに銃を撃った。弾丸は風間に当たらず、ロビーのソファーを抜いた。綿が飛び散り、人質が悲鳴をあげても、風間は止まらない。

 カウンターに飛び乗ると、風間はアンドロイドの頭部を、思い切り蹴り込んだ。衝撃で、アンドロイドの首がへし折れる。

 続けて風間は、オフィスに飛び込む。支店長を脅していたアンドロイドが、銃を向けるその腕を、風間は射貫いた。カーボン製の人工筋肉が弾け、金属のフレームが露出する。

 アンドロイドは銃を落とした。風間はすばやく近づき、アンドロイドをうつぶせに押し倒すと、うなじの人工皮膚をめくった。

 外部接続用のポートが露出する。風間は、スティック型の逆探知装置を、ポートに差し込んだ。すぐさま、逆探知が開始された。椅子から転げ落ちた支店長は、その様子を見守るばかりだった。

 岸原は、ロビーで呆然とあたりを見回していた。色々なことが起きすぎ、混乱しているのだった。はっと我に返ると、岸原は人質のもとに駆けた。

 そのとき、背後で物音がした。カウンターからだった。首の曲がった行員アンドロイドが、激しくけいれんしながら、岸原に銃を向けようとしていた。

「逃げてください。はやく!」

 その声で、三人の人質は出口に走った。岸原は銃を抜き、すばやく構えた。トリガーを引こうとしたが、人差し指は固まった。

 人間の女性にしか、見えなかったからだ。頭ではわかっている。これは、アンドロイドだ。人間に似せて造られた機械にすぎない。人間なら、首が折れた状態で動くことはできない。

 それでも、岸原は撃つことができない。人間だという認識を、追いやれないからだ。アンドロイドは、がくがくとふるえる手で、照準を合わせようとしている。

注視していたため、識別システムが自動的に作動した。

〈ROBOT〉

 銃声が響いた。だれよりも先に撃ったのは、風間だった。後頭部を撃たれたアンドロイドは、カウンターに倒れ込み、動かなくなった。

「てめえ、死にてえのか!」

 風間は怒号を飛ばした。カウンターを越え、岸原に詰め寄る。

「勝手に動きやがって。おまえは車で寝てりゃよかったんだよ」

 岸原は、唇をかんだ。風間は身を転じ、出口へと進んだ。

「待ってください」岸原は叫んだ。「すぐに撃てなかったことは、あやまります。でも、私にもいいたいことがあります」

 背中越しに、風間はいった。「どうぞ。手短かにな」

「こんなやり方、ありえません。人質になにかあったら、どうするつもりだったんですか」

 風間は振り返った。

「不正送金に、さほど時間はいらない。早急に現場を制圧する必要があった。それに、ここのアンドロイドは、おれより圧倒的にスペックが低い。勝つ自信があったのさ」

「必ず成功する見込みは、なかったはずです」

「それが人生だろ?」

 風間はにやりと笑うと、銀行の外に出た。岸原は追いかけた。

「じゃあ、銀行に突っ込んだのはなんだったんですか?」

「理由はふたつ。突然、予想もしないようなことが起きると、ロボットは一瞬フリーズする――人間と同じようにな。その隙を利用して、一気に攻めようってわけ」

「ふたつめの理由は?」

「おまえを気絶させるため。これマジだぜ」

 開いた口がふさがらないという言葉が、比喩でないと岸原は知った。

 風間は携帯を取り出した。

「おう、向井。そっちはどうだ?」

 岸原の視界にも、向井からの着信通知が浮かんでいた。ARコンタクトをしてから、着信メロディやバイブレーションは不要となっていた。

 携帯を耳にあて、岸原もグループ通話に入る。

「はずれだ。見ろよ」

 向井がいうと、仮想ウインドウが目の前に出現した。きっと向井の視界だろう。

 仮想ウインドウには、倒れている黒ずくめの男性が映った。フードが外され、顔が露わになっている。損傷したほおには、黒色の人工筋肉が確認できた。

「アンドロイドだ」と向井はいった。「シリアルナンバーを照会したが、どうやら盗難されたもののようだ。犯人にはつながらないな」

「問題ないぜ。こっちは逆探知に成功し、発信源を特定。不正送金も阻止したぜ」

「はやいな。位置情報は?」

「おれが向かう。向井は現場を引き継いでくれ。派手にやっちまったんでな」

「わかった。たまには掃除もわるくない」

 通話が切れると、岸原は訊いた。

「車、つぶしちゃったじゃないですか」

 風間は、わざとらしく首をかしげた。警官がひとり、駆け寄ってくる。

「てめえら、うちの管轄でなにしてくれてんだ――って、なんだこのガキ?」

「だからガキじゃねえっつーの。ちょうどいい、パトカー貸せよ」

 怒声を浴びせる警官には目もくれず、風間はパトカーのドアを開けた。運転席に座り、ドアにロックをかけたところで、助手席をにらんだ。

「なんで乗ってんの?」

「私も行きます。当然でしょう」と岸原。

「足手まといなんだけど」

「風間さんひとりに、事件をまかせておけません」

「どうして?」

「危ないからです。いろんな意味で」

「いろんな意味ねえ……」

 警官は窓ガラスを叩き、自分のパトカーだと主張していた。

かまわず風間は、パトカーを発進させた。


       4


 ロボット犯罪捜査班のオフィスに、秋葉の声がこだました。

「こりゃだめすっよ!」

 頭を抱える秋葉に、安藤はたずねた。

「どうした?」

「ネット掲示板のログを解析して、発信源を突き止めましたけど、この線は無理です。犯人が利用したのは新宿駅前の公衆無線LAN。不特定多数の人間が利用しているから、犯人の割り出しは不可能です」

「新宿駅前――だいぶ近いな」

「たしかに……。犯行現場の下見に来たときに、アクセスしたんですかね……」

 そのとき、オフィスの電話が鳴った。安藤が受話器をとった。

「風間か。進捗はどうだ?」

『最高ですぜ、ボス。逆探知で発信源がわかったんで、データ送りますよ』

 秋葉が愛用しているPCにも、データが受信された。

「マジかっ」と秋葉は声をあげた。「新宿のマンション。現場から車で十分の距離ですよ」

 受話器をもったまま、安藤はいった。

「秋葉。プロバイダに照会し、個人番号を取得。全員に共有しろ」


 風間は電話を切った。

「なめた野郎だぜ。堂々と自宅からハッキングしてやがった。しかも、現場のすぐそばでな」

 風間のあぶなっかしい運転を見守りながら、岸原はいった。

「犯人の目的はなんなんでしょう。ハッキングするなら遠方のほうがいいし、自宅からアクセスするなんて、あまりにも不用意ですよね」

「愉快犯の線が濃厚だな。世間を騒がせて、有名人になりたがる輩だ。捕まることが前提の犯行だったのかもしれねえ」

「それにしても、もっと慎重に行動しませんかね。犯人は高度なハッキング技術をもった知能犯です。軽率な犯行におよぶとは、考えにくいかと」

「新人にしてはいい読みだ。きっと、犯人にはもっと別の目的があるんだろう」

「別の目的?」

「着信来たぜ。秋葉からだ」

 岸原の視界に、メッセージが浮かんだ。秋葉から送られてきた、犯人の個人番号だ。警察の特権を利用し、政府のデータベースで個人番号を検索する。登録された個人情報が、携帯の画面上に現れた。

「犯人の名前は佐野貴之(さのたかゆき)。三十二歳。ソフトウェア開発会社勤務。ひとり住まいのようですが、アンドロイドを二体所有。犯歴はなし」

「二体か。またドンパチになるかも」

「待ち伏せてる可能性があると?」

 風間はブレーキを踏んだ。犯人が住むマンション前に、パトカーを停める。

「そう考えといたほうがいいだろ。用心するに越したことはねえ」

 風間はコートから、拳銃を抜いた。

「なんなんですか、その銃?」と岸原。

 銀行制圧の際にも思ったが、実に奇抜な拳銃だ。拳銃の色は黒やシルバーがふつうなのだが、風間のは青い。無駄に目立つ。しかも、大きい。小さな風間には、扱いづらいだろう。

官給品でないことは、いうまでもない。

「今時ニューナンブ提げてるわけにもいかねえだろ」

 マガジンを再装填すると、風間は車から出た。銃を取り出し、岸原も続く。携行している銃は、女性でも扱いやすい、コンパクトサイズのオートマチックだ。

「犯人が逃走していなければいいですが……」

「その心配はないですよ」

 秋葉の声が聞こえ、岸原は振り返った。そこにいたのは秋葉ではなく、ドローンだった。四枚のプロペラで空を舞う、小型無人機。黒い機体に、白のラインが入っている。警察用の監視ドローンだった。

 十年前より、警察は監視ドローンの配備を進めてきた。二〇三五年現在、東京の空には、いたるところに監視ドローンが飛んでいる。

 監視ドローンは指定されたルートを巡回し、搭載されたカメラで犯罪を見つけると、すぐさま通報する。ネットを通じた遠隔操作をすることも可能だ。

 秋葉もネット経由で、ドローンを操作しているのだった。

「先回りして、入口を監視してました。入退館した人間はゼロ。もちろん、ロボットもね」

「犯人はまだ家のなか……。悠長な野郎だぜ」

「四○三号室です。突入するなら、先行しますよ」

「行くしかねえだろ」

 風間はいうと、岸原を見た。

「私も行きます。次はミスしません。絶対に」

 風間は舌打ちをしたあと、岸原に向き直った。

「これだけは覚えておけ。機械に心は存在しない。だから、ロボットだと確認できたら、迷わず撃て。わかったか?」

 岸原はうなずいた。こんなところでつまずくわけにはいかない。

「狙うのは、頭か胸だ。頭には電子頭脳(コンピューター)、胸にはバッテリーが入ってる。まちがっても、親父さんの二の舞いには、なるんじゃねえぞ」

 心臓に、氷が触れたかのようだった。岸原は訊いた。

「父の事件を、知っているんですか」

「有名な話さ。おまえの親父、犯人が暴走させたロボットに、殺されたんだってな」

 風間は、マンションのドアをわずかに引いた。その隙間から秋葉のドローンが入り、なかを偵察しはじめた。

「復讐か?」と風間。

「いえ、犯人は自死しましたから。でも、ロボット犯罪を憎んでるっていうのは、事実です」

 だからこそ岸原は、ロボット犯罪捜査班に異動を希望したのだ。

「それを復讐っていうんじゃない?」

 風間は指先で、青い銃をくるくると回した。秋葉の声が、ドローンから流れた。

「オールクリア。エントランスホールは問題ありませんよ」

 銃の回転を止め、風間はいった。

「熱くなるなよ。クールにいこうぜ」

 風間はドアを押し開け、ホールに踏み込んだ。岸原も続く。

 すると突然、風間はわきに飛び退いた。岸原は状況を飲み込めない。視線は風間から、正面に移った。オートロックのガラスドアの向こうに、エレベーターがある。ランプが点灯していた。扉が左右に開いてゆく。

「なにがオールクリアだ。岸原、はやくこっちに!」

 ホールの柱の影から、風間は叫んだ。

 エレベーターのなかには、メイド姿の少女がいた。深々とお辞儀したあと、スカートから銃を抜き、そのまま撃った。

 岸原は、間一髪で床を蹴った。ガラスドアが割れ、破片がホールに散る。風間のもとに転がり込むと、岸原はいった。

「エレベーターに銃を携行した少女が。メイド姿です」

「んなこたぁどうだっていい。識別は?」

「えっと、タイムゲージは2.3秒。完了してません」

「足手まといが。3秒やらねえと、リセットかかんだぞ。またやりなおしだ」

 ホールでは、ドローンが飛び回っていた。そのドローンを狙い、弾丸が飛ぶ。

「すみません。僕が時間稼ぎしますんで。ちなみにこのドローン、識別用のデバイス積んでないっすよ」

「どいつもこいつも……」

 風間はクセ毛をかきむしった。そのとき、銃声が途切れた。アンドロイドが弾を撃ちつくしたのだろう。

 すかさず、風間は飛び出す。岸原も、柱の影から身を出し、銃を構えた。

 少女は、エレベーターの手前にいた。銃を投げ捨て、ポケットに手を入れる。新しい銃に、持ち替えようというのか。岸原はまだ撃てない。識別が完了していない。

 低い姿勢で、風間は少女に接近する。スライディングをするように、足払いをかけた。少女は倒れかけたが、手で床を叩き、跳躍した。人間業ではない。

 俊敏な動きに、照準が外れる。だが岸原の瞳は、少女から放れることはなかった。幼い顔に、文字が重なる。

〈ROBOT〉

「識別完了。ロボットです!」

 風間が銃を構えるのと、宙でアンドロイドが銃を抜くのは、ほぼ同時だった。

 ふたつの銃声が、重なった。

 メイド姿のアンドロイドが、どさりと床に落ちた。胸を撃ち抜かれている。血が噴き出すことはない。人間ではないからだ。

 風間はうずくまったままだった。岸原は駆け寄る。「風間さん!」

「マジ痛え」と風間は右手を払った。弾丸がホールに転がった。手の平には穴があき、皮膚がはがれていた。人工筋肉と、金属製の骨がのぞいている。アンドロイドと同じように。

「顔をかばっといてよかったぜ。右手は使いもんにならねえが、利き腕じゃねえからよしとしよう」

 右手で顔を隠しつつ、銃を撃ったようだ。風間が左利きであることを、岸原は今さら知った。

「さあ、とっとと行こうぜ。犯人のもとに」

 少年はにやりと微笑み、そういった。


 もう一体のアンドロイドの待ち伏せを警戒し、階段で四階に向かう。秋葉が操るドローンが先行し、状況を確認しつつ駆け上がる。

 アンドロイドは現れない。四階に着くと、犯人の住む四○三号室に走った。

 風間がチャイムを鳴らすことはなかった。ドアを蹴破ると、風間はいった。

「警察だ。出て来い!」

 むろん、反応はない。風間は銃で肩を叩いた。

「来るわけねーか」

「あたりまえでしょう」と岸原。

 ドローンが飛び、室内をチェックしはじめた。

「だれもいないっすよ。逃げられたかな」不用意にも、秋葉は声をあげた。「リビングに閉まったドア。わずかですが、キーボードの打音が漏れてます」

 風間は犯人宅に踏み込んだ。目的のドアを見つけると、迷わず蹴破った。慎重さのかけらもない。修理可能な機械の身体をもつと、こうも無鉄砲になれるものなのか。

 部屋にはひとりの男と、ひとりの少女がいた。

 男のほうはこちらに背を向け、デスクでパソコンを操作している。少女はベッドに座り、驚いた表情でこちらを見ている。フリルのついた洋服姿は、まるで人形のようだ。

 風間と岸原は、少女に銃口を向けた。判定が下される。

〈ROBOT〉

「大丈夫だよ。その子はウイルスに感染していない」

 男は振り返った。だぶついた肉体は、不気味なほど白い。外で活動していないのだろう。目は落ちくぼみ、深い暗闇を映しているかのようだった。自動的に、識別がはじまる。

〈HUMAN〉

「佐野貴之だな」と風間はいった。

「そうだよ」と佐野はあっさり認めた。

 岸原は銃を佐野に向けたまま、一歩前に出た。すると、少女型アンドロイドが跳ね起き、ふたりの前に立ちふさがった。

「お父さんを、いじめないで」とアンドロイドは泣きそうな顔でいった。

 岸原は顔をゆがめた。「お父さん……?」

「いいんだヒナコ。こっちにおいで」

 ヒナコと呼ばれたアンドロイドは、佐野に抱きついた。佐野は笑った。

「ヒナコは僕の娘なんだ」

 身体に怖気がはしった。岸原の口から、嫌悪感とともに声が漏れた。

「結婚もしていないのに……」

「養子なんだ」佐野はヒナコの頭をなでる。「本当にいい子だよ。さっきも僕のことを、必死で守ろうとしてくれた」

風間はせせら笑った。

「すべての家庭用ロボットに備えられた、基本プログラムだろうが。〝持ち主を守れ〟ってな」

「ちがう!」佐野は声を荒げた。「彼女には感情がある。父親である僕を愛している。だからこそ、僕を守ったんだ」

 風間は岸原に視線を送った。

「こいつ、マジでやべえ奴だぞ」

 佐野に銃口を定め、岸原は詰問した。

「なぜロボットをハッキングした? どうして人々に、銃を突きつけさせたりしたんですか?」

 機械のような真顔で、佐野は答えた。

「儀式だよ」

「儀式?」

「ネクロマンサーを召喚するための儀式さ」

「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」と風間。

「いい加減、銃を下ろしてくれないか。ヒナコがおびえる」

 ふたりは視線を交わすと、銃を下ろした。

「フォロワーを名乗る人間が大事件を起こす。そうすれば、彼が目覚めると考えたんだ。長い眠りについている、偉大なる魔術師――ネクロマンサーがね」

「そのための犯行予告か」と風間。

 佐野は、ゆっくりとうなずいた。

「犯行予告をし、フォロワーであると強調した。あとは事件を起こせばいい。彼と同じロボット犯罪で、世間が注目するような事件なら、なんでもよかった」

 その台詞に、岸原は怒りを覚えずにはいられなかった。佐野は坦々と続ける。

「だから銀行を狙った。ついさっきまで、ネットで確認してたけど、メディアはお祭り騒ぎだよ。彼の耳に入ったのは、まずまちがいないだろう」

「それで、ネクロマンサーは現れたのかよ」

 風間の言葉に、佐野はうつむく。

「まだだ。不正送金に失敗したのが原因だろう。送金先は、ロボット擁護団体だった。ロボットが反乱を起こし、擁護団体に資金提供する、というのが僕のシナリオだった」

「シナリオ通りにいかなくて残念でした」と風間は嘲笑した。

「だけど、僕の計画はいずれ明るみに出る。そのとき、彼は降臨するにちがいない」

 佐野は、恍惚の表情でそう語った。岸原はいった。

「仮にネクロマンサーが現れたとしても、あなたが知るのは牢獄のなかになる」

「そんなことは問題じゃない」佐野は目を見開き、熱弁した。「捕まることなんてどうだっていいんだ。彼が再臨すれば、世界は変わる。彼は愚かな人々に、ロボットには心があると諭すだろう。ロボットは人間と同等の扱いを受けるようになる。そう、かわいいヒナコも」

 佐野はヒナコと呼ばれる機械を、抱きしめた。

「ヒナコは養子と認められ、僕もまた父親と認められる。理想的な世界だと思わないか」

 嬉々として話す男を隠すように、着信通知が表示された。自分と風間にグループ通話。向井からだった。

 岸原は携帯を耳にあてた。

「大変なことになった」と向井はいった。「総和銀行のパソコンが突然送金を開始した。気づいたときには遅かった。ロボット擁護団体に、五億円もの金が送られた」

 ふたりは、顔を見合わせた。

「さらに悪い知らせだ。視覚を送る」

 眼前で開いた仮想ウインドウには、総和銀行のオフィスが映った。並んだパソコンのモニターすべてに、同じ文字が表示されている。

『THE MACHINE HEART EXISTS』

 岸原は思わず、感嘆の息をもらした。風間はいった。

「マシンハート(機械の心)は存在する――奴だ」

 佐野の高笑いが、部屋中に響き渡った。モニターで、監視カメラの映像を見ていたようだ。

「総和銀行のシステムを、ハッキングしたんだ。彼にしかできない芸当だよ。ついに魔術師は降臨した。これで、すべてがはじまる。世界は変わるのさ」

 佐野はヒナコを抱きしめ、得意げにいった。岸原は、風間に目をやる。

 風間もまた、笑っていた。口の端をつりあげた、歪んだ笑みだった。

「二年ぶりだな……。今度は逃がさねえ、絶対に」


       5


 逮捕した佐野を、新宿署の留置場に送ったあと、岸原は本庁にもどった。

 安藤に捜査の報告をする。内容は荒唐無稽だったが、丁寧に話すように努めた。

「よくやった」安藤は微笑んだ。無謀な捜査を、気にもとめていないらしい。周囲を見やると、安藤はたずねた。「それで、風間は?」

 風間は新宿署を出てすぐに、借りたパトカーで総和銀行に向かった。銀行のパソコンをすべて、押収するつもりらしい。ネクロマンサーの痕跡が残っているかもしれない、と風間はいっていた。

「ハッキングしたのがネクロマンサーだという証拠は、どこにもないんだがな」

 安藤はため息をついた。

「きっと、痕跡は存在しないですよ」と秋葉。「仮に、ネクロマンサーだったとしたら」

「万にひとつの可能性を信じて、風間は行動したんだろうよ」と向井。

 岸原は疑問を口にする。

「なぜ風間さんは、そこまでネクロマンサーに執着するんでしょうか」

 向井が席を立った。ドアへ歩むと、背中越しにいった。

「岸原、ちょっとつきあえ」


 警視庁本部庁舎の屋上で、ふたりは煙草に火をつけた。

「ここ、禁煙なんじゃないですか」

 岸原がたずねると、向井は無表情でいった。

「大丈夫だ。俺はいつも吸ってる」

 釈然としなかったが、岸原は煙草を口にくわえた。深く煙を吸い込む。夕暮れの空に吐き出すと、すこしだけ気分が落ちついた。思い返すと、とんでもない一日だった。

 前置きなしに、向井はいった。

「風間は、殺人犯捜査係の刑事だった。『アンドロイド連続自爆事件』は、奴が殺人班で担当した最後の事件だ」

 殺人犯捜査係――父と同じ部署で、風間は働いていた。岸原はたずねる。

「風間さんに、なにがあったんですか」

「失ったのさ」と向井はいった。「肉体を、そして相棒を」

 向井は二本目の煙草に火をともすと、静かに語りはじめた。

 当時、二十三歳だった風間は、今とちがってまともな刑事だったそうだ。キャリアは浅いが、極めて優秀だった風間は、所轄の刑事とコンビを組んで捜査にあたることになった。

瀬川紗織(せがわさおり)――二十一歳の新人刑事だった。

 警視庁は総力をあげ、『アンドロイド連続自爆事件』に取り組んだが、捜査は難航した。ネクロマンサーは、一切姿を現すことなく、ネット経由でアンドロイドを遠隔操作した。サーバーに残るはずの通信記録は、跡形もなく消えていた。ネクロマンサーは、天才的な技術をもつハッカーだった。

 だが、その犯行は稚拙でもあった。予言と称し、犯行現場のリストを、ネット上にアップしたのだ。そのリストのひとつに、風間と瀬川は駆けつけた。

 リストにのっている場所は、いずれも東京都心の人口密集地域だった。警察による厳戒態勢が敷かれたが、人々を避難させることはままならなかった。

 群集のなかで、アンドロイドを見つけ出すのは困難だ。なにしろ、人間とまったく同じ容姿をしているのだから。爆弾はアンドロイドの内部に仕込まれているため、不審物をもっているわけでもない。頼りになるのは、マイクロ波照射による識別だが、広範囲での識別技術は確立されていなかった。

 風間は人々の挙動を見極め、アンドロイドを探した。不審な人物を識別してゆくなかで、

 風間はついにアンドロイドを発見した。男性型のアンドロイドだった。自爆する前に、機能停止させなければならない。

 風間は銃を構えた。だが、撃てなかった。あまりにも人間に似ていたため、躊躇したのだった。

 群集をかきわけ、付近を捜索していた瀬川が現れた。

 瀬川が銃を構えたとき、アンドロイドは自爆した。

 爆発に巻き込まれた風間は奇跡的に一命をとりとめたが、全身を大きく損傷し、サイボーグ化を余儀なくされた。

 瀬川は、十名の死者のうちのひとりとなった。


 向井は煙草を捨て、踏みつぶした。

「瀬川が死んだのは自分のせいだと、風間は考えている」

 そういって、向井はまた煙草をくわえた。

「だから風間さんは、ネクロマンサーを……」

 岸原の手にある煙草は、ほとんど吸わずに灰になっていた。

「風間がおまえを嫌うのは、おまえに瀬川を見たからだろう。車で気絶させようってのは、やりすぎだがな」

 風が、強く吹いた。灰が飛び去ってゆく。

「私、風間さんに謝ろうと思います」

「別に、謝る必要はないだろう」と向井はいった。

「失礼な言動をしてしまったので」

 岸原は、携帯灰皿に煙草を入れた。向井に微笑んでみせる。

「ありがとうございました。教えてくれて」

「どうということはない。俺も捜査に加わっていたのさ。特殊犯捜査係だがな」

「SITだったんですか」と岸原は目を丸くした。

 ふたりでオフィスにもどるとき、岸原はひとつ、聞き逃したことに気づいた。

「全身サイボーグになったのはわかるんですが、なんで十五歳の身体にしたんでしょう」

「それは俺も知らん。知っているのは本人と、係長だけさ」

 オフィスには、風間がもどってきていた。岸原は、自分のデスクについた。風間のとなりだった。

「風間さん」と岸原は声をかけた。

 風間は書類の束を、岸原の机にどんと置いた。

「よう、事務係。おれの書類、適当に片づけておいてよ。捜査のあとの事後処理なんて、かったるくてやってられないからさ」

 謝るのは、やめることにした。

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