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【長編小説】MACHINE HEART 警視庁捜査一課ロボット犯罪捜査班⑤

Case:05 ELECTRIC SHEEP


       1


 五月十三日、日曜日。

 東京都中央区日本橋に設けられた武蔵百貨店では、多くの客が買物を楽しんでいた。ネットショッピングが主流になった現在、リアル店舗は縮小の一途をたどっている。だが、武蔵百貨店は独自の経営方針で人気を博していた。

 百貨店の入口に、ふたりの男女の姿があった。風間と岸原だった。一枚目の自動ドアを通り、風除室と呼ばれる二重ドアに挟まれた空間に入る。ふたりは、二枚目のドアの前で足を止めた。扉が開かないからだ。

「やべえぞ。もうすぐ午後一時だ」

 焦る少年の様子を見かねたのか、風除室に常駐する店員が、カウンターから声をかけた。

「ドアは識別が終わるまで、開かないようになっておりますので」

「んなこたぁ知ってんだよ!」

 店員に対し、容赦なくキレる風間をたしなめると、岸原は天井に目をやった。天井には、半球形の装置が取り付けれている。おそらく、あの装置が識別のためのマイクロ波を放射しているのだろう。

 ドアが開くと、ふたりは店内に駆け入った。

「無量とかいう野郎、ぎりぎりで暗号解きやがって。しかも、ファイルに入っていたのは、ここを示す位置情報と、五月十三日午後一時を示す数値のみ」

「時間内に解読できたんだから、よかったじゃないですか」岸原は周囲を見渡していう。「でも、本当にここで合ってるんですかね」

「武蔵百貨店は、入口に識別装置まで設けて、ロボットの入店を拒否してる。しかも、ロボットのスタッフは一切つかってねえ。つまり、店内には人間しかいない」

「その方針がロボット排斥派の支持を受けて、経営を盛り返したんですよね。けど、こんなところでロボット犯罪なんてできるわけが――」

 そのとき、岸原の背後で、大きな金属音が鳴った。シャッターが閉まった音だった。さきほどの店員が、あたふたと様子をみている。

 岸原の視界に表示されたデジタル時計は、午後一時ちょうどだった。

「はじまりやがったぜ」と風間はいった。


 安藤はポルシェからすべり降りた。乗り捨てられた風間の車から、武蔵百貨店に視線を移す。シャッターが下ろされ、入口と出口は完全に封鎖されていた。

 着信通知が光り、安藤は携帯を手にした。風間からの着信だった。

「岸原と百貨店のなかに入った。突然下りたシャッターは、ボタンを押しても動かない。どうやらネクロマンサーが、なんらかの細工を施しやがった」

「わかった。通話は切らずに、なかの様子を報告し――」

 プツッと短い音がし、電話が切れた。再度、風間に電話をつなごうと、安藤は携帯画面に指を置いた。だが、安藤は画面隅のアイコンに気づく――〝圏外〟。

 安藤は舌打ちをし、いった。

「ジャミングか」

 けたたましいサイレンの音が、安藤に近づいた。遅れてやってきたパトカーたちが、百貨店に現着したのだった。

 安藤は鋭い目つきで、武蔵百貨店を仰ぐ。創業は明治に遡る、老舗デパート。七階建ての大規模店舗にも関わらず、ロボットを扱わず、入店も拒否する。

「我々の盲点をついてきたか」と安藤はつぶやいた。

 警察もバカではない。あらゆる可能性を考慮し、対策を講じた。しかし、すべての予想は的外れだったわけだ。

 そのとき、ビル壁面に設置されたオーロラビジョンに、ノイズが走った。広告映像がかき消え、ひとりの男が映し出される。ローブを着たその男は、机上で手を組み、いやらしい笑みを顔に張りつけていた。

 その姿は、東堂省吾にちがいなかった。しかし、中身は依然、正体不明だ。すくなくとも、ネクロマンサーであることはたしかだが……。

『時間だ』とネクロマンサーはいった。『これより、マシンハートの存在証明実験、〈electric sheep〉を行う』

 パトカーから出てきた警官たちは、オーロラビジョンを見て息をのんだ。彼らはただ棒立ちになるのみで、できることはなにもなかった。

 安藤は身をひるがえし、ポルシェに乗り込んだ。パトカーの間をすり抜け、武蔵百貨店から遠ざかる。

 携帯の電波が回復したことを確認すると、安藤は車を停車させた。秋葉に電話をかける。

「首尾はどうだ?」

「やはり、テレビチャンネルを乗っ取りましたよ。逆探知は開始されてます」

 秋葉はひとり、オフィスに残って情報戦を担当している。逆探知に成功し、ネクロマンサーの居場所がわかれば、向井を急行させる。しかし、そう簡単にはいかないだろう。相手はあのネクロマンサーなのだから……。


 安藤の白いポルシェを俯瞰しつつ、ドローンが武蔵百貨店に飛来した。その機体だけではない。方々から、ドローンが集まってくる。

 十機のドローンが、警戒するように百貨店上空を巡る。黒いボディをしたそのドローンは、ブラックドッグが奪ったものだった。

 まるで、ビルが悪魔に憑かれたかのような光景だ。

 事実、店内では混沌がはじまろうとしていた――。


 『時間だ』ネクロマンサーの声が、館内放送で流れた。

 風間はつながらなくなった携帯をあきらめ、天井を振り仰いだ。スピーカーから、ネクロマンサーの声が響いている。

 岸原は店内の様子に目を走らせた。戸惑って立ち止まり、館内放送に耳を傾ける者が多い。ひとりの女性が店の奥を指さし、連れの女性を招いている。彼女たちは駆け足で、店の奥に向かった。その行動にそそのかされ、人々の足が動く。

 岸原と風間は、そのあとを追った。人々が集まっていたのは、中央ホールだった。巨大なモニターの前に、人だかりができている。モニターには、ローブを着た東堂が大きく映し出されていた。

 モニターから発せられる言葉は、館内放送と重なって、立体的に聞こえてきた。

『現在、武蔵百貨店には二五〇三名の人間と、一体のアンドロイドがいる』

 大衆がざわついた。風間はベンチに乗り、背伸びをしてモニターを眺めている。人が邪魔で、前が見えないからだった。

『私はビル管理システムをハッキングしている。アンドロイドを一体、まぎれこませることなど容易だ』

「ミツバ電機にはビル管理システム部門もある。奴のねらいはそこだったか」

 風間は悔しそうにいった。武蔵百貨店はロボットを使用していないため、ビル管理をオンラインのシステムに頼り、人員コストを削減している。管理システムが奪われたなら、ビルはネクロマンサーの思うがままだ。

 ネクロマンサーは表情を変えずに、こういった。

『店内にいる人々には、そのアンドロイドを見つけ、撃ち殺す努力をしてもらう』

 ガタン――と、上から音が鳴った。中央ホールの真ん中に、大量の拳銃が降り注いだ。人々は悲鳴をあげ、落ちてきた拳銃からあとずさる。

 岸原は天井を見上げた。空調の送風口が、フィルターごと開いていた。あらかじめ、銃を空調内にしかけていたようだ。

「落ち着いてください、警察です!」

 岸原は警察手帳を掲げ、叫んだ。人々の視線は岸原に集まったが、すぐにモニターに移った。ネクロマンサーが、話し続けている。

『もしマシンハートが存在しないのであれば、君たちは容易にアンドロイドを探し出すことができるはずだ。制限時間内に、アンドロイドを撃ち殺すことができたならば、マシンハートの存在は否定される。しかし、君たちがアンドロイドを撃ち殺せなかったのであれば、マシンハートの存在は肯定される。簡単なルールだ』

 風間は銃をひろいあげ、モニターをにらみつけた。

『ちなみに、各フロアに配布した銃はニューナンブM09の模造拳銃だ。装弾数は五発。使用方法は単純だ。トリガーを引けば、弾が出る。安全装置はすでに外してある。以前、警察に配備されていた、旧型のリボルバーだ』

 ネクロマンサーは口の端をつりあげた。

『また、アンドロイドには爆弾が内蔵されている。制限時間内にアンドロイドを撃ち殺せなかった場合、私はアンドロイドを爆破する。君たちの敗北なわけだからね。加えて、ビル内から逃走をはかった場合は、棄権とみなし、アンドロイドを爆破する。ビル管理システムを操作し、出入口は封鎖させてもらったから、逃走は困難だがね。さらに、外部から実験の邪魔をした場合も、同様に爆破を行う。警察諸君は、逆探知に必死のようだがね』


 ロボット犯罪捜査班のオフィスで、秋葉はつぶやいた。

「ばれてるか……」

 秋葉はマルチディスプレイで、逆探知の経過とネクロマンサーの放送を、同時に確認していた。

『なお、実験の模様は、監視カメラの映像をネットに配信し、世界中で視聴できるようにした。観察者がいなければ、実験が成り立たないためだ』

 秋葉は驚きの声をあげ、キーボードに指を走らせた。主要な動画生配信サイトすべてに、武蔵百貨店の監視カメラの映像が配信されている。

 動画はフロアごとに分けられていた。秋葉は一階の映像を、試しにクリックした。一画面に、一階の監視カメラの映像が分割で表示されている。そのなかには、風間と岸原の姿もあった。

『最後に、外部との通信手段は通信妨害装置(ジャマー)を用いて遮断した。助ける者はだれもいない。自分自身の力のみで、人間か、アンドロイドかを見極めるのだ。それでは、〈electric sheep〉をはじめる。制限時間は一時間だ』

 唐突に、画面が暗転した。数字だけが、無常に光っている。

 ―60:00―

 カウントダウンが、開始されたのだった。


 ―59:58―

 車載モニターから目を離し、安藤は親指の爪を噛んだ。ネクロマンサーは、約二五〇〇人もの人間を、人質にとった。うかつに行動すれば、ネクロマンサーはアンドロイドを爆破させる。混雑する百貨店で爆発が起きれば、多くの人命が失われるだろう。

 『アンドロイド連続自爆事件』のときと、同じように――。

 思案する安藤の視界に、ひとりの男が入った。その男はポルシェの横を、ふらふらとした足取りで通り過ぎた。すこし歩くと、男は歩道にがくりと膝をついた。

 不審に思った安藤は、男に駆け寄った。安藤が声をかけようとした瞬間、男は叫んだ。

「ネクロマンサー万歳!」

 銃声が響いた。男の後頭部から血が噴出し、安藤は鮮血を浴びた。男は横向きに倒れた。その手には銃が握られており、銃身は深く口に差し込まれていた。

 顔についた血をぬぐい、安藤は呆然といった。

「なにが起こっているんだ……」


       2


 ―59:55―

 風間と岸原は、警察手帳を提示し、人々の喧騒をおさめた。家族連れや高齢者が多く、なかには百貨店の店員も混じっていた。人々はふたりを取り巻きにし、時おり床に視線を落とした。ふたりの足元には、模造拳銃が山のように積みあがっていた。

「タイマーかけとけ」と風間は小声でいった。

 岸原の視界に、デジタル時計の表示はなかった。ジャミングの影響で、携帯とARコンタクトとの通信が、遮断されているためだ。岸原は携帯のタイマーを、モニターのカウントダウンに合わせた。

「どうするつもりですか、風間さん」

「すべてのフロアを見て回り、アンドロイドを目視で探し出す」

「目視で?」と岸原は聞き返した。

「そうするしかねえんだよ」風間は携帯を取り出し、画面を指でたたいた。「ジャミングのせいで、マイクロ波識別は使用できない。せいぜい使えるのは、携帯の磁気センサーを利用した金属探知アプリぐらいだが、探すなら目視のほうがはやい」

 岸原は、自分の携帯を確認した。マイクロ波識別のためのアプリは、たしかに使用不可になっていた。代わりに、金属探知のアプリを起動させる。

「風間さんは、目視で識別できるんですか。それが、絶対にアンドロイドだといえるんですか」

 アンドロイドの外見は、人間と酷似している。誤認して撃てば、殺人になってしまう。

「おれには『アンドロイド連続自爆事件』の経験がある」

 風間はそういい切ると、人々に向かって叫んだ。

「おれたちは警視庁のロボット犯罪捜査班だ。事態の収拾はおれたちに任せろ」風間は模造拳銃のまわりを一周し、人々の顔を眺めた。「安心しろ。少なくとも、ここにアンドロイドはいない」

「だとすれば、ほかの場所にいるんだ」

 四十代程度の男性が、興奮気味にいった。男性はかがんで銃を拾おうとしたが、風間はその銃を蹴り飛ばした。

「あんたが銃を持つ必要はない。アンドロイドはおれたちが見つける」

「全員で探したほうがいいだろう。アンドロイドを撃ち殺すためには、銃は必要不可欠だ」

 人々の凍てついた視線が、風間に集中した。じりじりと、人々が歩を詰めてくる。

 そのとき、館内放送が鳴った。

『ひとつ、いい忘れていた。銃は人数分ないぞ』

 人々の手が、一斉に銃に伸びた。


 ―56:40―

 秋葉は全フロアの配信映像にアクセスした。モニターに指を置き、上向きになぞる。映像が、空中の仮想ディスプレイに移動した。地下一階から七階まで、全八フロアの映像がずらりと並ぶ。

 秋葉は頭を抱えた。「なんてことだ……」

 ネクロマンサーの館内放送に後押しされ、各フロアで人々が銃を取りはじめた。奪い合う者たちさえいる。風間と岸原は、人々を押しやろうとするも、逆に追いやられていた。

 別の動きもあった。銃を持たない人々が、逃げ出そうとしている。二階から上のフロアには、出入口がない。エレベーター、エスカレーター、階段を用いて、人々が一斉に下階に向かってゆく。

 ネクロマンサーのいった通り、出入口は封鎖されている。無理やり出ようとすれば、混じっているアンドロイドが、爆破されることになる。それでも、人々は逃走しようと躍起になっていた。パニックに駆られているのだ。

 地下一階では、シャッター前に人が集まっていた。武蔵百貨店は地下鉄駅と隣接しており、駅に直接繋がる通用口が存在する。シャッターが閉まったその通用口に、人だかりができているのだった。

 音声を地下一階に絞ると、シャッターをがんがんと叩く音が聞こえた。スーツ姿の店員が、暴走する客たちを抑えようとしている。

 秋葉は仮想ディスプレイから、目を引きはがした。一刻もはやく、ネクロマンサーの居場所を特定しなければならない。

目前のモニターに視線をもどした秋葉は、思わずうめき声をもらした。

 ウインドウには、逆探知の経過が表示されている。テレビ局から発せられた逆探知の信号は、サーバーを巡り、どういうわけか元のテレビ局に帰ってきていた。

「信号が、ループしている……?」

 顔を蒼白にして、秋葉はつぶやいた。


 ―55:12―

 連絡にすぐ反応したのは、九係の丸山だった。部下の元村を引き連れ、丸山は車から降りてきた。

 丸山は、血まみれの安藤と、転がった死体を見比べた。

「自死だよ」と安藤はいった。「身元を確認してくれ。こいつはフォロワーだ。〈electric sheep〉と関係している可能性が高い」

「お言葉ですが」元村は安藤にいった。「武蔵百貨店前は大変な騒ぎです。こんなところにいては――」

「貴様になにができる」と安藤は一喝した。「私の部下はあのなかで戦っている。貴様は、今できることをしろ」

 安藤の肩に手を置き、丸山はいった。

「抑えろ、安藤。身元は確認する。だが、事態が切迫しているのも事実だ。上層部は強行突入の計画を立てている」

「強行突入だと? それでは我々の敗北だ。マシンハートの存在を認めることになるぞ」

「各所に設置した逆探知デバイスが、機能していないそうです」と元村はいった。「ネクロマンサーの位置が、つかめないんですよ」

 安藤はすぐさま、携帯を耳にあてた。

「秋葉、進捗はどうだ?」

「ネクロマンサーは、逆探知の信号がループするよう、サーバーに細工を施してます。今、そのプログラムを取り除いている最中です」

「どれぐらいかかる?」

「わかりません」秋葉は泣きそうな声でいった。「ネクロマンサーがいくつのサーバーにプログラムを仕込んだか、見当もつかないんです」

 舌打ちをし、安藤は携帯を切った。武蔵百貨店に目をやる。その古風な建築物は、沈黙を保ったままだ。

オーロラビジョンに映るデジタル時計が、無慈悲に時を刻んでいる。


 ―54:03―

「久々に、やるしかないか」

 秋葉はオフィスでひとりごちた。引出しからキーボードを取り出し、デスクに置く。ふたつのキーボードが、横に並んだ。

 右側のキーボードに右手を、左側のキーボードに左手をかざす。

 秋葉は奥歯を強く噛み締めた。カチリと音が鳴り、秋葉の指が縦に割れた。指は中央から半分に裂け、五指ある指が十指になった。

 秋葉の両手に隠されたギミックだった。

 合計二十本の指で、秋葉はふたつのキーボードを叩く。機関銃のような打鍵音が、オフィスに響いた。

 頭上の仮想ディスプレイ内では、最悪の事態が起ころうとしていた。地下一階のシャッター前で、喧噪を鎮めようとしていた店員が、群集から後ずさった。

 店員はジャケットから銃を取り出し、群集に向かって発砲した。


       3


 ―53:55―

 乾いた音が響いた。打ち上げ花火のように、続けざまにその音は鳴った。

「下だ」と風間はいった。

 中央ホールに、もう人の姿はなかった。模造拳銃も同様だ。人々はネクロマンサーの言葉につられ、拳銃をもって方々に散った。風間と岸原には、止めることができなかった。

「銃声ですね」荒い息づかいで、岸原は訊いた。「アンドロイドを見つけたんでしょうか」

「行ってみなくちゃわからねえだろ」

 そのとき、地鳴りのように足音が鳴り響いた。中央ホールの脇にあるエスカレーターから、大勢の人々が下りてきた。エレベーターや階段を利用したのか、奥からも客がやってくる。みな、一目散に出入口に向かって行った。

「シャッターで封鎖されてるってのに」と風間が毒づく。

「すみません。警察の方ですよね」

人の流れに逆らって、ひとりの女性店員が岸原のもとに走り寄った。風除室のカウンターにいた女性だった。

「これ、使えるかと思って」

その手には、金属探知機が握られていた。棒の先に、輪がついているような形状だ。

「入退店するスタッフのチェックに使用しているものです」

 風間は周囲を見渡し、女性店員にいった。

「出口を求めて、一階に客が集中してる。あんたは他の店員と協力して、一階の客を中央ホールに集めろ。そこで、金属探知機を使って識別するんだ」

「し、識別ですか」

「簡単だ。頭に金属探知機をかざせばいい。反応した場合、アンドロイドである可能性が高い。金属探知機はそれだけか?」

「まだバックヤードにいくつかあります」

「じゃあそれも持ってきて、識別しろ。おれたちは地下一階に行く」

 風間はもうすでに、足をエスカレーターに向けていた。

「あの、他の階はどうするんですか?」と女性店員が訊いた。

「地下一階にいる人間は、おれたちが一階に引き上げる。二階から上の客も順次な」

「そ、そんなにたくさんの人、対応しきれません」

「別の階のスタッフも来るから大丈夫だ」

 風間はそういって、エスカレーターに走った。だが、下りエスカレーターにも関わらず、人が上がってくる。

 風間は振り返り、女性店員に訊いた。

「階段はどっちだ?」

 女性の指さした方向に、ふたりは走った。

「私が一階に残って、彼女の協力をしたほうがいいんじゃないですか」

「いや、おれひとりじゃ時間内に別のフロアを回りきれねえ」

 階段を見つけ、駆け下りる。岸原はタイマーを確認した。

 ―51:42―

「しかし、解せないぜ」風間は階段を下りながら、いった。「アンドロイドはその挙動が、人間とは若干ちがう。動作にどこかぎこちなさがある。ふつうは一分もかからずに、見分けられるはずだ」

「そのために、ネクロマンサーはパニックを起こしたのでは?」

 地下一階は食品売り場になっていた。武蔵百貨店に来る途中、風間はネットでフロアマップを閲覧していた。迷いなく、駅への通用口へと急ぐ。岸原は人とすれちがうたび、識別をするため、一階に行くように伝えた。

「いや、それならもっとわかる。アンドロイドは混乱しないし、動揺もしない。周囲から浮くはずだぜ」

「じゃあ、なぜ見つからないんでしょう。もしかして、最初からいないとか?」

「それはないと思うぜ。ネクロマンサーはあくまでも、マシンハートの存在証明にこだわってるんだからな」

 通路を折れると、通用口の前に着いた。岸原は息をのんだ。

 そこには十名程度の人間がいた。うち三人が、血を流して横たわっている。そして、初老の男性がひとり、銃をもって立ち尽くしていた。残りはシャッターにしがみつき、助けを呼んでいる。

「おまえら、なにをやっている!」風間が怒鳴った。「銃を捨てろ、警察だ」

 岸原は自分の銃を抜き、初老の男性にたずねる。

「撃ったのは、あなたですか?」

 男は手に持った銃を見ると、悲鳴をあげて投げ捨てた。

「わ、私が撃ったのはひとりだけだ。この店員が最初に撃ったから」

 指さした先に、スーツ姿の若い男が倒れていた。

「逃走はルール違反だとかいって、いきなりふたり撃った。本当だ」

 風間は男に詰め寄った。

「どうして撃った。たとえ正当防衛でも、相手は人間だぞ」

「人間じゃないと思ったんだ」男は、身体を震わせながらいった。「人を撃つような奴は、人間じゃない。アンドロイドにちがいないと思って……」

「じゃあ、人を撃ったあんたはどうなんだ。アンドロイドなのかよ!」

「私は、人間だ……」そういって、男は泣き崩れた。

 岸原は若い男の頭に、携帯をかざした。金属探知機は反応しない。その手に、生暖かい空気が触れた。若い男が、息をしていたのだった。

男は笑っていた。

「ネクロマンサーは、最高だ……」男は血を吐きながら話した。「銃をしかけたのは……、俺なんだよ。なにをやるかと思ったら、すばらしいイベントを用意してくれた……」

 風間は男に銃を突きつけた。

「フォロワーだな。アンドロイドの容姿を吐け。知ってるんだろ」

「知らないね……。おれの託宣は、銃を設置するだけだ……」

「嘘をつくな。知っていることをすべていえ!」

 男の肩を揺さぶったが、もう言葉を発することはなかった。男は目を見開き、笑ったまま絶命していた。

 他のふたりの容態を、岸原は確認した。血の気が引くのを感じた。風間に向かって、首を横に振る。ふたりの息はなかった。

 風間は立ち上がると、天井に向かって発砲した。

「全員、一階に行け。いますぐにだ」

 

 ―40:25―

 風間と岸原は、手分けして地下一階をまわり、一階に上がるように指示した。時間的に、他のフロアをまわりきるのは絶望的だった。

『開始から二十分ほどが経過した』ネクロマンサーが、館内放送で語りかけた。『現在、死者は三十二名だ。アンドロイドに当たる確率は、二四七二分の一になった』

「死者が、三十二名って……」

 岸原のほおを、汗がつたった。風間はいった。

「上階でなにかが起きてる。二階に急ぐぞ」

 ふたりは、階段を駆け上がった。ネクロマンサーの声が、響き続ける。

『見分ける能力がないのなら、とにかく撃ってみるといい。殺せば殺すほど、確率は上がるのだから』


       4


 ―35:02―

 秋葉はひたすらキーを叩いた。三つ目のサーバーに仕掛けられたプログラムの解除に奮闘する。逆探知が成功するかは、秋葉の腕にかかっていた。

指を休めることなく、秋葉はちらと目をあげた。

 仮想ディプレイ内では、二階・婦人ファッションフロアを、風間と岸原がまわり終えたところだった。人影がまばらだったためか、さほど時間はかかっていない。二階の人間の多くは、すでに一階に下りていた。

 問題は三階だった。しかし、ふたりに連絡する手立てはない。

 店員の誘導で、一階の中央ホールに集まった人々は、列をつくり金属探知機で検査を受けている。金属探知機が反応する様子はない。

 いったいどこに、アンドロイドがいるのか。

 秋葉もロボット犯罪捜査班のメンバーだ。人間とアンドロイドの見分けはつく。だが、すべての仮想ディスプレイに目を通しても、アンドロイドの姿は見当たらない。

 刻々と迫る制限時間に焦燥をおぼえながらも、秋葉はキーを打ち続けた。


 ―34:38―

「個人番号データベースの顔写真検索で、ようやくヒットしました」

 元村は携帯画面を読み上げた。

「自死したのは、柴田仁・三十五歳。犯歴はありませんが、二年前、サイバー犯罪に関与した疑いで、事情聴取を受けています」

 現場には救急車が到着し、隊員が死体を担架に乗せていた。

「所持品は財布だけで、携帯も持っていない」丸山はいった。「おそらくクロだな」

「柴田は百貨店側から歩いてきた」安藤は腕を組んだ。「〈electric sheep〉が起こる前に、入店していた可能性が高い。家族構成は?」

「妻と息子がひとり。名前は――」

「貸せ!」

安藤は元村から携帯を奪った。画面を操作する安藤の指が止まる。生身の胴体に、鳥肌がたった。

「どうした、安藤?」

「私の予想が正しければ」安藤は苦渋の表情でいった。「これは勝てないゲームだ」

 丸山は眉根を寄せた。

「しかし、風間なら……」安藤はいい淀んだ。風間なら、真相にたどり着けるかもしれない。だが、アンドロイドを撃つことはできるだろうか。

赤色灯を点けたバンが数台、百貨店に向かっていった。強行突入のための部隊が、乗車していることは明白だった。

「ここは任せた」丸山にそういうと、安藤は車のドアに手をかけた。

「どこに行くつもりだ?」と丸山。

「突入を阻止する」

 安藤は自車に乗り、エンジンをかけた。車を発進させ、向井に電話をかける。

「突入の指示は下ったか?」

「いや、特二は待機です。位置情報待ちで」

「位置情報が来ても、ぎりぎりまで突入させるな」

「風間と岸原を、信用しろと」

「むろんだ」

 電話を切ると、安藤は人柄にもなく祈っていた。

自分の予想が、外れることを。


 ―34:20―

 三階は、二階と同じく婦人用のファッションを扱ったフロアだった。風間と岸原を出迎えたのは、すでに事切れた店員だった。背中に穿たれた弾痕が生々しい。

 額に手を当てて、岸原はいった。「狂ってる……」

 悲鳴と、高笑いがフロアに響いた。続けて、銃声が鳴る。

「置いてあるのは服ばかりで、遮蔽物にならない。おまえはここにいろ」

「私も行きます」

 目をあげると、風間はもう走りはじめていた。銃を携え、あとを追おうとするも、岸原はすぐに立ち止まってしまった。通路には、死体がいくつも転がっていた。

『もうすぐ、三十分が経過する。なぜ君たちは、アンドロイドを見つけられないんだ?』

 岸原は歩を進めた。足が思うように動かなかった。

『六階・レストランフロアで、ナイフで腕を切っている者たちがいる。血液を流すことが、アンドロイドでないことを証明すると思っているらしい。だが、大きなまちがいだ』

 恐怖心を押さえ込み、岸原は進んだ。自分は刑事だ。事件を止める義務がある。

『切ったら血が出るぐらいのを細工を、私が怠ると思っているのかね』

 風間の怒声が聞こえた。何者かと接触したらしい。銃声が聞こえる。この音が、人の命を奪う。あまりにも空虚な音だ。

『君たちは、ようやくわかってきたんじゃないか。自分がアンドロイドでないと、証明する難しさが。いや、こういい換えてもいい』

 陳列された服の間を抜け、風間の声のするほうに進む。

『自分が人間であることを証明する難しさ、とね』

 風間は、茶髪の若い男に銃口を向けていた。茶髪の男は、銃と手提げバッグを持っている。風間の指示に従い、男は銃とバッグを投げ捨てた。

『私は問いたい。君たちは本当に人間なのか。君たちには本当に心(ハート)があるのか』

 床に落ちたバッグから、何挺ものニューナンブが滑り出た。

『機械の心(マシンハート)を否定するのなら、自分の心(ハート)を示してみせろ』

 茶髪の男はいった。

「俺はアンドロイドだ。いくら人間を殺しても、なんとも思わない」

 岸原は、拳銃をかまえた。頭に狙いを定める。

「やめろ、岸原!」風間が叫んだ。「こいつはフォロワーだ。ネクロマンサーが仕掛けた罠だ」

 銃把を握りしめ、岸原はいった。

「あなたは、人間じゃない」

 岸原は引金をひいた。


       5


 ―31:12―

 とっさの判断で、風間は茶髪の男を突き飛ばした。

 弾丸は、男の頭上をかすめた。

 即座に男を抑えこみ、岸原を振り返った。

「おまえ正気か。こいつは人間だぞ」

 岸原はその場にへたりこんだ。言葉はでなかった。なぜ撃ったのか、自分でもわからない。男がアンドロイドだといったからか。人殺しが許せなかったからか。あるいはその両方か。

 異常な環境に、自分は呑みこまれてしまった。

「もっと殺そうと思ったのに、残念だな」岸原に反し、男は饒舌に語った。「四階で銃を撃ちまくって、生きてる奴がいなくなったから、下におりたんだよ。でもさ、殺したのは俺だけじゃないんだぜ。ちょっと銃を撃っただけで、みんなパニクって撃ちはじめるんだよ。ネットで配信されてんだろ。見物だったと思うぜ」

 風間は男の顔面を、思い切り殴った。

「んなこたぁ訊いてねえんだよ」胸ぐらをつかみ、男に詰問する。「てめえフォロワーなんだろ。大衆を扇動するように、ネクロマンサーに指示を受けたな」

「あんた、なんにも知らねえんだな」風間はもう一発、男を殴った。「位置情報と〈electric sheep〉の開始時刻だけだよ。あとはなにも書いちゃいない。銃が降ってきたとき、こいつは俺に与えられた使命だと思ったんだ」

「なぜ見境なく撃った。アンドロイドに当たれば、てめえの尊敬するインチキ魔術師の計画が丸つぶれだろうが」

「俺にはわかるんだよ。人間は独特のにおいがするんだ。生きてるっていう嫌なにおいが。あんたはあんまりしないな」

 男は風間の腹部を見た。先ほどの銃撃戦で、風間は被弾していた。腹部に空いた穴から、黒い人工筋肉がのぞいていた。

「サイボーグか。どおりでしぶといわけだ」

 風間はさらに殴り、男を気絶させた。後ろ手に手錠をかけ、足は手提げバッグのベルトで固く結んだ。

 岸原に歩み寄り、風間はいった。

「立ち上がれ。まだやるべきことが残ってんだろ」

「でも私、どうしたらいいか……」

「刑事の仕事なんて、事件を解決するだけだろ」風間は手をさしだした。「立てっつってんだろ」

 風間の手を借りて、岸原は立ち上がった。

「一発、くらっちまったよ」コートのボタンを止めながら、風間はいった。

「すみません。余計なことをして……」

「ホントだよ。なんであんなクソ野郎、助けなきゃいけねえんだよ。時間もないっていうのに」

 岸原は携帯のタイマーを見た。もう残り半分を切っている。

 ―28:58―

「さっきのネクロマンサーの放送、聞いてたか」

 岸原はうなずいた。

「奴の目的がわかったぜ。奴はマシンハートの存在証明をしたいんじゃない。奴の真の目的は――」

 一呼吸おいて、風間はいった。

「人間に、心(ハート)がないことを証明するためだ」

「心(ハート)がないって……」岸原は、自分の胸に手を置いた。「私たちの心(ハート)は、たしかにここに――」

「そこには心臓という臓器があるだけだ」風間は自分の頭を指した。「心(ハート)は脳の機能にすぎない。実物を提示することは、だれにもできない」

「でも、ないとはいいきれませんよね」

「あるともいいきれない。奴はそこを突いてきた。人々を極限状態に追い込み、心(ハート)がないような行動をするようにしむけた」

 岸原は唇をかんだ。

「他人を銃で撃ったりすることですね」

「だとすれば、実験の意味合いが変わってくる。用意するのは必ずしも、高性能のアンドロイドである必要はない。重要なのは、最後まで見つからないことだ。おれたちを敗北させれば、奴はいうだろう。人間が人間であることを、自分の心(ハート)があることを、証明する手立てはどこにもないってな」

「高性能のアンドロイドのほうが、見つかりにくいんじゃないですか?」

「いや、そうとは限らない。単純な動作をする人間を模倣するのに、高い性能はいらない」

 単純な動作をする人間――岸原は、頭の中で反芻した。

「子供、ですか?」

風間は首を横に振った。

「赤ん坊だよ」


 ―28:30―

 ふたつのキーボードの同時操作は、脳に倍の負荷を与える。秋葉の鼻から、どろりとした血液が流れ出した。

 鼻血をぬぐい、秋葉は作業に取り組む。いまだ、三つ目のサーバーのプログラムを、取り除けていない。複数のサーバーを経由すれば、通信速度が落ちる。ネクロマンサーが利用しているサーバーの数には、限度があるはずだ。

 これで終わりだと信じ、秋葉は指を動かし続ける。風間と岸原はもちこたえてくれるだろうか。

制限時間が残り半分になったとき、一階で不穏な動きがあった。金属探知機での検査を終えた人々が、拳銃を持って上階に向かったのだ。検査でアンドロイドが見つからず、しびれを切らしたのだろう。

アンドロイド狩りが、本格化しようとしていた。


       6


 ―28:19―

 風間と岸原は、四階を飛ばして五階に駆け上がっていた。五階は、ベビー用品売り場だった。

「ふたりのフォロワーは、アンドロイドの容貌を知らなかった。誤射する危険があるにも関わらずな。たとえフォロワーであっても、絶対に撃たないという自信が、ネクロマンサーにはあった」

「たしかに、赤ん坊を撃つとは考えにくいですね」

「館内放送でのネクロマンサーの言葉、フォロワーの不審な態度から、おれは結論にたどり着いた」

「しかし、赤ん坊が入店するには、同伴者が必要ですよね」

「同伴者はフォロワーにちがいない」

「だったら、そのフォロワーを問い詰めれば――」

「奴は正解を知っている者を、ビル内に残していないだろう」

 五階の中央には、児童向けの遊び場が設けられていた。複数の家族がいるが、子供と遊んでいるわけではなかった。父親たちは銃を持ち、遊び場を囲んでいる。母親と子供は遊び場のなかにうずくまり、恐怖で肩を震わせていた。赤ん坊を抱いた女性もいる。

 赤ん坊は五人いた。このなかに、アンドロイドが混じっているのか。

 父親たちが、警戒の目をふたりに向けた。岸原はすぐさま、警察手帳を提示した。

「警察です。アンドロイドを探し出すのに、協力してもらえませんか」

「協力?」父親のひとりが、不審そうにいった。「その警察手帳が偽造でない理由は、どこにもないぞ」

 岸原は閉口した。警察を信用することもできないのか。

「あんたがアンドロイドでない理由もな」と風間。

 男は銃を風間に向け、声を張り上げた。

「俺にはな、家族がいるんだよ。お互いを見て、アンドロイドでないことなんてすぐにわかる。ここにいるみんなもそうだ。ここには人間しかいない。おまえたちは失せろ」

「私たちの携帯には、金属探知の機能があります。すこしだけ、検査をさせてもらえませんか」

「しつこいぞ!」男は銃を岸原に向けた。

「そもそも、どうしてこんなところに警察がいるんだ」別の男がいった。「この建物は、封鎖されてるんじゃないのか」

「封鎖される前に入ったに決まってんだろ」と風間。「速攻で来たから、おれたちだけ間に合ったの」

「都合のいい理由だな」

 声がしたのは、ふたりの背後だった。模造拳銃を携行した集団が、ふたりに迫ってきていた。

 父親たちが、集団に銃を向ける。風間は低い声でいった。

「あんたらは家族を連れて、奥に逃げろ」

 銃を構えたまま、父親たちはあとずさった。母親は子供を抱えて逃げてゆく。子供の泣き声が、遠のいていった。

「で、あんたらなにしに来たわけ?」風間はあくまでも、余裕な態度を崩さない。

「一階の検査では、いまだアンドロイドが確認されていない」集団のリーダーなのか、眼鏡をかけた男が口を開いた。「検査を終えた私たちは、アンドロイドの捜索に乗り出した」

「ほう、それで?」

「闇雲に探してもらちが明かない。アンドロイドはだれか――考えるうちに、私はある結論に達した」

「もったいぶるねえ」

「都合よく現れた警察こそ、アンドロイドではないかと」

 その集団は、一斉に銃をふたりに向けた。

 風間は微笑し、両手を挙げた。風間にならい、岸原も両手を挙げる。

「論理的じゃねえと思うけど」

 集団は、じりじりとふたりを囲いはじめた。

「おかしな点がある」眼鏡の男は、つとめて冷静だった。「あなた方は私たちに検査を強要したが、あなた方自身が検査を受けたのを見た者はだれもいない」

 集団は円形にふたりを取り囲んだ。逃げ道はない。岸原のほおに、汗がつたった。

「じゃあ、検査すりゃいいじゃん」

 風間は岸原の背中を押した。振り返ると、風間はまだ余裕の笑みを浮かべている。

 集団のひとりが歩み出た。その男は、金属探知機を手にしていた。

「店員に借りたもんだ」と男はいった。男は金属探知機のスイッチを入れ、自分の持つ模造拳銃で反応することを確認した。

 岸原の頭に、金属探知機をかざす。もちろん、音は鳴らなかった。

 集団の輪から、岸原は追いやられた。

 今度は、風間の番だ。

 全身サイボーグである風間は、金属探知機に反応する。

 釈明しようと、岸原は口を開きかけた。だが、声を出すことはなかった。風間が岸原に向かって、ウインクしたからだ。指を折って、下を示している。伏せろ、という意味か。

 どこに勝算があるのかまるでわからないが、岸原はそろそろと身をかがめた。

「次はおまえだな」

 男は金属探知機を、風間の頭部に近づけた。

 探知機から、長い高音が鳴り響いた。

 時が止まったかのような沈黙。

 集団が引金をしぼるのと同時に、風間は右腕のギミックを発動させた。

 アンカーが天井に突き刺さり、風間は宙に飛び上がった。


 ―21:30―

 鼻血を垂れ流しながら、秋葉はいった。

「終わった……」

 三つ目のサーバーのプログラムを除去すると、逆探知の信号は発信源に到達した。ディスプレイに、位置情報が表示される。

 すぐさま秋葉は、各局にデータを送信した。

 検索してみると、位置情報の示す場所は東京郊外の廃校だった。

「間に合うか、向井氏――」

 秋葉は天井を仰いだ。


       7


 ―21:26―

 本庁屋上には、警視庁航空隊のヘリがスタンバイしていた。特殊犯捜査第二係――通称、特二――の十人が、濃紺の出動服で身を固め、ヘリに搭乗していた。

 ヘリのブレードが回りはじめた。

屋上には、出動服を着たひとりの男がいた。向井だった。ブレードの風圧で、向井はようやく出動だと気づく。煙草を捨て、ヘリに乗り込む。

「位置情報を確認した。これより現場に急行する」パイロットが無線にいった。

「あんた、相変わらずだな」

 嫌味をいったのは、元同僚の五十嵐だった。顔は端正だが、言葉は荒い。まだ二十代の若造だった。

「応援で来たっていうのに、ひどいいわれようだ」

 ヘリが離陸し、徐々に高度を上げてゆく。

「あんたのところの係長が、無理やり押しつけたんだよ」

「仮にも古巣にもどったんだ。歓迎してくれよ」

 ロボット犯罪捜査班に配属される前、向井はSIT――特二に所属していたのだった。

ヘルメットに搭載されたヘッドセットから、指揮担当の声がする。

「現着まで最短で十二分だ。時間は少ない。迅速に対応しろ」

 向井は、五十嵐に向かっていった。「だとさ」

 ネクロマンサーのひそむ廃校めがけ、ヘリは空を駆けた。


 ―21:25―

 風間はアンカーを外し、天井から降り立った。足下では、模造拳銃を持った集団がうずくまり、痛みにあえいでいた。

「囲んで撃つからだよ。バカ共が」

 風間が天井に飛び、対象を失った弾丸は、逆側にいた人間に命中した。幸い、致命傷は避けられたようだが、流血がひどかった。

「全身サイボーグだって、説明すればよかったじゃないですか」

「どうせ聞きゃしねえよ。他にも仲間がいるだろうから、こいつらは放っておこう。問題は赤ん坊だ」

 五階の隅に、遊び場にいた家族が避難していた。アンドロイドを探す集団から救ったためか、今度は協力的に応じてくれた。

 風間と岸原は、赤ん坊に対し、金属探知機で検査を行った。五人の赤ん坊から、反応は得られなかった。他の幼い子供にも検査したが、反応はない。

「やべえぞ。ここじゃねえ」

 風間の顔に、はじめて焦りの色が浮かんだ。

「別のフロアでしょうか。風間さん、いままでベビーカーとか見ました?」

「見てねえな。おれの予想が外れたか」

「あの、ベビーカーなら見ましたよ」

 赤ん坊を抱いたひとりの女性が、か細い声でいった。

「どこでですか?」と岸原。

「七階の書店です。一時前に、私と同じくベビーカーを押してる人に会って。その人とすこし話して、夫を探してるとかいってたんですけど。そのあと、私たちは五階に来て、館内放送が突然――」

 風間は舌打ちした。「最上階か!」

 通路を走り、ふたりは階段まで向かう。フロアの中央から、男の声が聞こえる。

「アンドロイドを見つけた。逃げられたが、まだ近くにいるはずだ。ガキみたいな姿をした警察もどきだ」

「ひどいいわれようだぜ」

 ふたりは七階をめざし、階段を駆け上がる。制限時間が迫っていた。


―15:45―

 武蔵百貨店前では、強行突入ための準備が整えられていた。特一とSATの隊員たちが、シャッター前に配置されている。そのうちのひとりは、シャッターを焼き切るためのバーナーを手にしていた。

 指揮をとっているのは、捜査一課長の宮地警視だった。

「十五分を切ったら、突入する」

 宮地は隊員たちに向かっていった。

「まだ私の部下がなかにいるんだが?」

 その声に、宮地は振り返った。声の主は安藤だった。

「君のところのガキや新人は、たよりにしていないんだよ」

 宮地は真顔だったが、その口調には怒りが含まれていた。

「事件を解決する手立てが、あなたにはあると?」

「ネクロマンサーは、遠隔操作でアンドロイドを爆破させるつもりだ。つまりその瞬間、奴はジャミングを切る。だが、今度はこっちでジャミングを行う。電波が遮断された環境では、奴もアンドロイドを爆破できない」

 宮地はトラック型の車両に、親指を向けた。あのなかにジャマーが入っているということか。安藤は視線を空に移した。ネクロマンサーのドローンが、百貨店上空で哨戒している。

「うまくいくとは思えませんな」

 管理官のひとりが、安藤の腕をつかんだ。

「あなたには下がっていてもらう。作戦の邪魔だ」

「貴様は私の邪魔だ」

 安藤は管理官の腕を払った。安藤も胴体以外は機械化されている。生身の男の腕を払うなど、造作もなかった。安藤は拳銃を取り出し、宮地に向けた。

「突入をする必要はない。なぜなら、ロボット犯罪捜査班が事件を解決するからだ」

 宮地の表情が崩れた。

「正気か、安藤?」

「課長、私はいつだって正気ですよ」

 隊員のひとりが、あっと声をあげた。指さす先に目をやる。

 一体のドローンが、空から落ちてくる。ドローンは、ジャマーを乗せたトラックのルーフに直撃した。

 爆音とともに、安藤の視界が白く染まった。

 目をあけると、半壊し、炎上するトラックが、そこにあった。

 制服警官たちが、トラックに駆け寄る。安藤は銃を下ろし、宮地にいった。

「私が脅すまでもありませんな」


―15:15―

 七階の大部分は、書店が占拠していた。高い書棚が多く、見通しが悪い。

「どうします、風間さん?」

「手分けするしかねえだろ。時間的にはまだ間に合う」

 フロア中央のほうから、大勢の足音が聞こえた。風間は舌打ちした。

「アンドロイドを狩りに来やがった」

 風間は岸原を見上げて、いった。

「おまえはアンドロイドを探せ。おれがおとりになる」

「相手は銃を持った人間たちです。いくらなんでも、風間さんひとりじゃ……」

「奴らの狙いはおれだ。十五分くらいなんとかなんだろ」

「でも――」

「はやく行け! おれのスペックは伊達じゃねえんだよ」

 ニューナンブを持った人々が、こちらに押し寄せてくる。風間はコートを開き、血の流れない傷口を見せつけた。

「おれがアンドロイドだ。はやく撃たねえと爆発するぜ」

 銃声が響くなか、書棚を縫うようにして、岸原は駆けた。

 噴き出る汗は、走り回ったためなのか、焦燥のためなのか、岸原にはわからなかった。

 捜索すること五分――本棚の間に、ベビーカーを発見した。

 かぶりつくように、なかをのぞく。

 だが、赤ん坊の姿はなかった。

 周囲を探しても、親の姿は見当たらない。

 岸原ののどから、か細い息が漏れる。

『残り十分を切った。君たちはアンドロイドを見つけることはおろか、自分を人間だと証明することもできない。非常に残念だよ』

 館内放送で、ネクロマンサーが冷酷に告げた。


       8


―09:29―

 校庭に砂埃が舞い上がった。向井を乗せた警察ヘリが、降下してゆく。

 着陸すると、サブマシンガンを携行し、特一と向井が駆け出る。

「ネクロマンサーを見つけ、確保しろ。状況次第では、射殺も許可する」

 指揮担当からの通信に、向井は答えた。「了解」

 コッキングレバーを引き、初弾を装填する。

 校舎に向かって、全員が走り出した。

 廃校というだけあって、校舎はいまにも崩れそうなほどに荒廃し、汚れていた。窓には黒いカーテンがかけられ、なかを確認することはできない。

「まるで戦争だ」と五十嵐。

 そのとき、校庭のチャイムが鳴った。みな足を止め、あたりの様子をうかがう。

 昇降口から、学生服姿の男女が歩み出てきた。

 数は合計十名。そのすべてが、手に拳銃を持っている。

 向井は義眼のズーム機能を使い、手元を見た。銃はニューナンブだった。

 次に、顔を注視する。高校生ぐらいの、まだあどけない顔をした少年だった。自動的に識別システムが働く――〈ROBOT〉。

「戦争よりタチが悪そうだ」

 セレクターレバーを合わせ、向井はフルオート射撃を開始した。


―08:55―

 考えろ、岸原は自分にそういい聞かせた。赤ん坊を抱いて、母親はどこに逃げたか。ベビーカーの持ち主が、五階で聞いた人物と同一だとするなら、夫が行方不明になっているはずだ。助けを求め、夫を探しにいくか?

 いや、店内には銃を持った人々がうろついている。うかつな行動はできない。ならば、我が子の身の安全だけでも確保しようと、母親は考えるだろう。

 だれの脅威からも逃れられる場所――。自分と赤ん坊以外にだれもおらず、他者が侵入しないように、鍵をかけられる部屋であればいい。

 岸原はあっと声をあげた。どうしてそんなことに、いままで気づかなかったのか。

「女子トイレか」と岸原はつぶやいた。

 本棚の間から通路に飛び出した瞬間、岸原は何者かに激突し、床に転がった。

 ぶつかってきたのは、風間だった。

「なにしてんだ、てめえ。赤ん坊は見つかったのか?」

 ニューナンブを手にした人々が、通路の先から迫る。岸原はとっさに訊いた。

「風間さん、女子トイレどこですか?」

 風間は驚愕の表情でいった。

「おまえ、このタイミングでトイレ行くのか?」

 岸原は首を横に振った。

「母親がトイレに逃げ込んだんじゃないかと」

 風間は斜め前方を指さした。その方向は、岸原のいる地点からフロア中央を結んだ向こう側――つまり、逆側だった。

 銃声が鳴り、風間の足下に穴が開いた。「くそがっ」風間はそう吐き捨てると、本棚に手をかけた。その外見に似合わない豪腕で、力まかせに本棚を横倒しにする。

 通路を塞ぐ形で、本棚が倒れた。なかに収められた本たちが、床にばらばらと落ちる。

「走れ。奴らをぶん殴ってから、おれも行く」

 風間の身体には、いくつもの弾痕があった。さすがの風間でも、限界が近いだろう。

 本棚の影を這って進んだあと、立ち上がって駆け出す。

 わずかな可能性を求めて、岸原は疾走した。


―06:24―

 戦場と化した校庭に、向井は立っていた。

特一はばらけ、逃げ惑いながらアンドロイドに応戦していた。遮蔽物がまったくないのだから、そうなるのも無理はない。向井と同じく識別デバイスを装備してはいるが、アンドロイドと真正面から戦った経験などないから、恐怖はなおさらだろう。

 学生姿のアンドロイドたちは、かまわず前に出てきて、模造拳銃を撃ってくる。

 周囲に反し、向井は一歩も動かなかった。生身の下半身にさえ弾が当たらなければ、どうとでもなる。向井にとって、ニューナンブは脅威ではなかった。

 向井のボディは、実戦向けに強靱に造られている。重厚であるがゆえ、風間のようなスピードはない。だからこそ、向井は動かないのだった。

 識別して、撃つ。識別して、撃つ――その繰り返しだ。

 銃弾を受け、学生もどきが地に伏せる。良心の呵責などない。奴らは人間ではないのだから。

 すべてのアンドロイドが、校庭に崩れ落ちた。十体中九体のアンドロイドを倒したのが向井で、残りの一体を倒したのが五十嵐だった。

 あたりを見回すと、特一のメンバーは銃弾をくらい、痛みにもがき苦しんでいた。防弾チョッキを着ていても、衝撃を完全に防ぐことはできない。

 五十嵐も同様だった。だが、五十嵐は果敢にも立ち上がり、向井に歩み寄った。

「救援を呼べ」と向井はいった。「俺ひとりで突入する」

「いいや、俺も行くぜ」

 五十嵐は口から血をたらしながら、そういった。向井の肩に手をかけたが、その手は向井の腕にすべり落ち、やがて地に触れた。

 五十嵐は咳き込み、血の飛沫が飛んだ。

「おまえはすこし休んでろ」

 向井は校舎に足を向けた。背後で、五十嵐がいう。

「あんたはいつもそうだ。全部ひとりで解決しようとする。だからあんたは、特二を追い出されたんだ」

 向井は振り返った。

「集団行動が苦手でね」

 五十嵐は微笑んだ。

「あんた、いつかヒーローになれるよ」

「そいつは願い下げだ」と向井はいった。「俺はヒーローになれるほど、正義を信じちゃいない」

 そのとき、五十嵐の目が見開かれた。視線の先は、向井ではない。その向こう側だった。

「まだいやがった!」

 五十嵐は無理やり上体を起こし、サブマシンガンを構えた。

 瞬時に、向井は昇降口に目をやった――銃を持った女子学生がひとり。

 からからと笑いながら、銃口をこちらに向ける。

「やめろ、五十嵐!」

 反射的に、向井は五十嵐を蹴り飛ばした。

 五十嵐の銃からのびた弾道がそれた。だが、銃弾は女子学生の肩に命中した。

 鮮血が、宙に噴出した。そして、少女は地面に倒れ伏した。

 三秒後、女子学生にデジタル表示が重なった。

 〈HUMAN〉

 絶叫する五十嵐を尻目に、向井は少女に近づいた。致命傷ではないようだ。少女は笑いながらいった。

「私、ネクロマンサー様を愛してるんです」

 向井は無言で、少女に手錠をかけた。


       9


―05:50―

 女子トイレのドアをノックして、岸原は呼びかけた。

「警察の者です。安全な場所に誘導しますので、ドアを開けてもらえませんか」

「安全な場所なんてどこにあるんですか。あなたは人間ですか」

 個室のなかから、悲鳴にも似た女性の声が返ってきた。警察手帳を、ドアと床の隙間から滑り込ませる。

「こんなの信用できません」と女性はいった。「もうだれも信じられないんです!」

 女性が叫んだ直後に、赤ん坊が泣きはじめた。岸原は注意深く耳を澄ませた。

 泣き声だけでは、人間かアンドロイドか、区別がつかない。

「お子さんの体調に問題はありませんか」

 岸原は探りもかねて、落ち着いた口調で問いかけた。

「今日は元気がなくて、おっぱいも飲んでくれないし……」

 出かける前から、アンドロイドにすり替えたのか。女性は赤ん坊をあやしているのだろう。「すぐにパパに会えるからね」と声をかけている。

 フォロワーは、やはり夫のほうか。女性の様子からは、赤ん坊が実の我が子であると、思い込んでいるように感じられる。夫は自宅で、赤ん坊をアンドロイドに差し替えた。そして、妻はそのことを知らないのではないか。

 いや、まだアンドロイドであると、確定しているわけではない。

 赤ん坊が泣きやむと、岸原はやさしくたずねた。

「お子さんは生まれて何ヶ月ですか」

「二ヵ月の男の子です。かわいそうに、こんな目にあって……」

 生後二ヵ月の赤ん坊――はじめて言葉を口にするぐらいの年齢だ。泣いたり、笑ったり、手足を動かしたり……、その程度の動作は、アンドロイドでも再現できる。加えて、元気がないだけだと考えているのなら――。

 実の母親でさえも、区別するのは困難だ。

 岸原は携帯を取り出し、タイマーを確認した。

―04:25―

 努めて冷静に、岸原は話しかけた。

「制限時間を超えたら、アンドロイドが爆発します。お子さんのためにも、避難に協力してもらえませんか」

 しばらく、沈黙があった。個室の錠が、外れる音がした。

 個室のなかには、震える若い女性と、腕に抱かれた小さな赤ん坊の姿があった。その子は黒く大きな瞳で、岸原を見つめている。

 本当に、この子がアンドロイドなのだろうか。

 岸原は手元で、金属探知のアプリを立ち上げる。もう片方の手を、女性に差し出す。

「もう大丈夫です」ぎこちなく微笑みかける。「私といっしょに行きましょう」

 女性はうなずいた。女性の肩を抱いて、岸原は女子トイレから歩み出る。

 肩に置いた左手から、女性の恐怖が伝わってくる。恐れているのは、岸原も同じだった。右手に持った携帯を、ぎゅっと握りしめる。

「安全な場所ってどこですか?」

 自分の胸のあたりまで、右手をもってくる。

「一階ですよ。そこにみんな集まってます」

 無意識に、足が階段に向かっていた。風間のおかげなのか、銃声や喧噪は失せ、人影も絶えていた。それでも、このフロアは危険だ。いったん、階段まで行ったほうがいいだろう。そして、携帯の金属探知アプリで確認がとれたら――。

 私は、赤ん坊を撃つのか。

 階段の手前で、岸原は立ち止まった。

「どうしたんですか?」と女性は不安そうに訊く。

 そのとき、背後から声がかかった。風間だった。

「時間制限でもうすぐ爆発しちまうぞって脅したら、奴らしっぽを巻いて逃げやがったぜ。で、赤ん坊は――」

 岸原はとっさに、赤ん坊に携帯を押しつけた。

 長い高音が、携帯から発せられた。

 その場の空気が凍結したかのように、みな動きを止めた。

「な、なんなんですか……」

 女性が震える声でいった。風間が走り寄る。その身体は、被弾して穴だらけだ。内部の機械部品が露出している。

 女性は悲鳴をあげ、逃げ出そうとした。だが、岸原は女性を離さなかった。もがく女性を必死で抑えこむ。

「その赤ん坊がアンドロイドだ」風間は叫んだ。「はやく捨てろ!」

 我が子を守るためか、女性の力はすさまじかった。岸原の腕をふりほどき、階段の踊り場に足を踏み入れる。

 しかし、風間の行動はすばやかった。下り階段の前に転がり込むと、両手をひろげ行く手を阻んだ。

 女性はひっと息をのみ、踵を返した。その先には、上り階段があった。赤ん坊を抱いて、女性は階段を駆け上がる。風間はいった。

「この先は屋上だが、ドアは閉めきりだ」

 風間と岸原は、女性と赤ん坊のあとを追った。


―03:12―

 向井は義耳の感度を上げた。ネクロマンサーはこの校舎のどこかにひそんでいる。位置を割り出すため、向井はかすかな物音をたぐり寄せる。

 空調がうなる、低い音がする。駆動させているマシンの冷却用に、空調をつけているのだろう。

 音は階上から聞こえる。ほこりだらけの階段を、向井はのぼった。三階で足を止める。空調が使用されているのは、この階だ。

 だれもいない廊下を、向井は慎重に進んだ。校舎内には、アンドロイドもフォロワーも見当たらない。しかし、狡猾なネクロマンサーのことだ。どこかに罠があるはずだ。

 ネクロマンサーを易々と捕えられるとは、到底思えない。

 そんな向井の思惑に反し、教室内から声がかかった。

「ロボット犯罪捜査班の向井君だろ?」


       10


―02:10―

 屋上に続くドアは、風間のいう通り閉めきりになっていた。女性は赤ん坊を抱き、そのドアに背中をあずけている。

 風間と岸原は、階段の途中で足を止めていた。無理もなかった。

 女性の手には、模造拳銃――ニューナンブM09が握られていた。

 銃口は、風間の顔に向けられている。

 天井から落ちてきた銃を、隠し持っていたのだった。

「アンドロイドには、心(ハート)がないんでしょう?」

 赤ん坊の泣き声が、反響している。女性も泣いている。

「あんたはフォロワーじゃないらしい」

 風間は階段を、一段あがった。岸原はいった。

「彼は全身サイボーグです。アンドロイドではありません」

「でも、私の赤ちゃんを殺そうとしている」

 女性は狙いを外そうとしない。かまわず風間は、階段を一歩ずつのぼる。

「赤ちゃんを殺そうとする人間に、心(ハート)がありますか?」

 女性はわななき声で問いかける。

「たしかに、人は心(ハート)を示せない。だがな――」

風間は女性の目前に立った。

「他者の心(ハート)を感じる能力を、人は持っている」

 女性は首を横に振り、引金をひいた。

 その刹那、風間が動く。

 銃声が、赤ん坊の泣き声を引き裂いた。


―01:26―

「はやく入らないと遅刻するぞ」

 その声はたしかに、東堂のものだった。教室のドアは閉まっていて、なかの様子は確認できない。だが、ネクロマンサーがいることはたしかだ。

 視界に表示されるタイマーが、時を刻んでいる。

「あいにく、劣等生でね。学生時代は遅刻ばかりだったよ」

 向井はドアの脇に張りついた。突入すれば、ネクロマンサーは実験を妨害したと判断し、アンドロイドを爆破させる。時間はまだある。係長の指示どおり、ぎりぎりまで待とうと向井は考えていた――風間と岸原を信じて。

「残り一分を切ったぞ」ネクロマンサーはいった。「君たち人間の敗北は濃厚だな」


―01:25―

 目前で構えられた銃から放たれた凶弾を、風間は身を反転させてかわし、その勢いを利用して、女性の手から銃を払い落とした。

 驚く女性の隙をつき、風間は赤ん坊を取り上げ、岸原に投げた。

 岸原は両手を伸ばし、赤ん坊をキャッチした。

「私の赤ちゃん!」

 泣き叫ぶ女性を、風間は力ずくで抑える。

「撃て、岸原!」風間が叫んだ。「その赤ん坊は人間じゃない。アンドロイドだ」

 岸原の胸には、赤ん坊のぬくもりがあった。眼をぎゅっとつぶり、口を大きく開け、赤ん坊は泣いている。口のなかには、小さな白い歯がのぞいている。まだ、生えはじめたばかりの歯。

 岸原は赤ん坊を、階段の一段に寝かせた。赤ん坊は手足をばたつかせ、その場から逃れようと必死だ。片手で赤ん坊を抑え、もう片方の手に銃を持つ。

『残り一分を切ったぞ。君たち人間の敗北は濃厚だな』

 銃を赤ん坊に突きつける。女性の絶叫が響く。岸原の手が震える。片手には、冷たく重い拳銃。片手には、あたたくやわらかな赤子の感触。

 岸原は銃を下ろした。「私には、撃てません」

 女性を取り押さえながら、風間は詰問する。

「ネクロマンサーに敗北していいのか?」

「だって」岸原は泣きそうな顔でいう。「アンドロイドだって、断定できないじゃないですか」


―00:48―

 向井は息を整える。残り三十秒を切ったら、突入する。

「なあ、向井君。どうして私が、簡単に位置情報を割り出せるような細工をしたと思う?」

 機械の身体に、悪寒が走る。

「〈electric sheep〉の予告、そして開始の宣言――わずかな間しか、映像に姿を出さなかったのはなぜだと思う?」

 悪寒がのぼり、脳がこごえる。

「そして、なぜ君の侵入を許したのか? 疑問に思わないかね」

 残り三十秒を切った。教室のドアを引く。

 教室の後方に、黒いローブを着た男が座っていた。机と椅子は、学校のものだった。机がもうひとつだけ、男の前に設置されており、その上にはノートパソコンが一台乗っていた。

 男は顔をあげた。東堂の顔だった。

「私はまだアンドロイドを爆破する気はない。君が撃たなければの話だがね」

 向井は全身の力が抜けるのを感じた。

「わかっただろう。撃っても無駄だということが」


―00:29―

 風間は女性を殴り飛ばした。気を失ったのか、女性は倒れ、泣き叫ぶのをやめた。

 岸原を押しのけ、風間は赤ん坊の前に陣取る。

 そして、銃を取り出し、赤ん坊に向ける。岸原は、風間の肩をつかむ。

「断定できていないんですよ。それでも風間さんは、撃てるんですか?」

 風間は舌打ちすると、赤ん坊の胸に耳を押しつけた。

「心臓の鼓動が聞こえるが、これは再現できる。パーツの駆動音が確認できりゃいいんだが、泣き声がうるさすぎてわからねえ」

 

―00:25―

 向井は照準を、東堂の頭に定めた。東堂は微動だにしなかった。ただ、机の上で手を組んで、向井を見据えている。

「撃っても無駄だといったはずだが?」

「俺には心(ハート)があるんでね」


―00:13―

 風間は携帯のライトを使い、瞳孔の収縮を確認したが、やはり断定はできないようだった。

 岸原はタイマーを見て、いった。

「もう十秒を切ってます……」

「しゃあねえ。一発勝負だ」

 風間は銃を、赤ん坊の頭に向ける。

「え?」

 岸原は思わず、驚きの声をあげた。

 視界に、デジタル時計がちらついている。

「だれかがジャミングを切りやがった。識別システムを利用できるぜ」

 メッセージが、視界内に表示される。

『ハッキングして、ジャマーだけは停止できました。from秋葉』


―00:05―

 東堂は、口の端をつり上げた。

「最後に邪魔立てが入った。アンドロイドを爆破する」

 銃声が、教室に響いた。

 向井の放った弾丸が、東堂のひたいに吸い込まれる。


―00:02―

 岸原の視界に、識別結果が表示される。赤ん坊に重なる文字は――〈ROBOT〉。

「でも、ルール違反じゃないですか。撃ったところで、爆発するかもしれない」

「そうだよ」風間は赤ん坊――いや、アンドロイドをつかみあげた。「秋葉の野郎、余計なことしやがって」

 突然、赤ん坊型のアンドロイドが、大声で笑い出した。

 風間は階段を駆け上がる。ドアにタックルをかまし、屋上に飛び出す。

 渾身の力をこめて、風間はアンドロイドを空に放った。

 空が爆炎で、赤く染まった。


       *


 凶弾を受けた東堂の頭が、がくんとうしろに倒れた。その映像は、ネットを伝って世界中に流れた。モニターしていた秋葉は思わず目をそむけた。武蔵百貨店前で、オーロラビジョンを眺めていた安藤も同様だった。

『は、あはは、はは……』

 東堂の笑い声が聞こえ、目をもどした。そのひたいにはたしかに穴が空いていたが、血は一滴も出ていなかった。

 向井は東堂の髪をつかんだ。のけぞった頭を、WEBカメラに向き直す。

「アンドロイドだ」と向井はいった。「東堂のボディに、人工頭脳を換装していたんだ」

 ひたいから火花を散らしながら、アンドロイドは笑っている。

「あは、あははは、はは……」

「つまり、こいつはネクロマンサーじゃない。遠隔操作されていた、ただの人形だ」


 火の粉が、雪のように舞っていた。

 アンドロイドは空中で爆破され、被害がおよぶことはなかった。

武蔵百貨店の屋上から、岸原は東京の街を見渡す。だが、視界を横切る黒い影があった。ブラックドッグが放ったドローンだった。

 旋回するドローンに向かって、風間は叫んだ。

「真実を語りたいのなら、てめえの本当の姿を現せ」

 ドローンが空中停止し、風間のほうにカメラを向けた。

「ネクロマンサー――いや、神崎玲音」

 九体のドローンが自爆し、炎の輪を形作った。


 その傀儡はディスプレイのなかで笑い続けていた。頭部に銃口が押し当てられる。アンドロイドは、最後にいった。

『人間は電気羊の夢を見るか?』

 マズルフラッシュが光り、アンドロイドの頭が砕かれた。

 画面が暗転し、ひとつの文章が表示される。

〈ELECTRIC SHEEP CLOSED〉

 そして、映像は途切れた。

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