【長編小説】MACHINE HEART 警視庁捜査一課ロボット犯罪捜査班⑥ END
- 弑谷 和哉
- 7月27日
- 読了時間: 33分
更新日:7月28日
Case:06 NECROMANCER RISES
1
岸原はステアリングを慎重に回した。山道のカーブは急だった。崖下には、青々とした樹木が立ち並んでいる。ここが東京であることを、忘れさせるほどの風景だった。
助手席に座る風間に、岸原は訊いた。
「電気羊事件から三日たちます。そろそろ教えてくださいよ。ネクロマンサーの正体が、神崎玲音だと指摘した根拠を。そもそも神崎は、十年前に自死したはずです」
岸原の真剣なまなざしに、風間はうなずく。
「神崎は死んでいなかったってことさ」
「でも、死体はDNA鑑定されて、神崎本人だと確認されています」
「たしかに、身体は神崎本人のものだった。そのことにまちがいはないだろう」
「どういう意味です?」
「神崎がネクロマンサーであり、正体を隠すために、脳移植を繰り返していたとするなら、おのずと答えはでると思うぜ」
全身に、鳥肌がたった。岸原は自分の考えを口にした。
「死体には、脳がなかった可能性があるということですか」
風間は指を鳴らした。「ご名答」
「でも、検視で判明するはずでは――」
その先に、言葉は続かなかった。あることに、思い至ったからだ。
「死体は焼死体で、損傷は激しかった。手術痕を隠すために、自らの肉体を焼いたのさ。むろん、他のボディに乗り換え、全身サイボーグになったあとにな」
ハンドルを持つ手が震えた。幸い、車の通りは少ない。
「自分が死んだと見せかけ、正体の隠蔽をはかった、と。しかし、証拠がありませんよね」
「検視報告書を調べてみた結果、『頭皮に手術痕のようなものがある』という、あいまいな記述が見つかった。自死の可能性が高いと判断され、司法解剖は行われなかった」
「警察の怠慢ですね」
しかし、当時の警察は思いもしなかっただろう――肉体から、脳が抜かれているとは。
「神崎が生きている可能性がある、という話はわかりました」岸原はいった。「ですが、神崎がネクロマンサーの正体だという理由はなんです?」
「理由は三つある」と風間は答えた。「ひとつめは、芹沢とかいう闇サイボーグ医師の証言。芹沢は十年間、何者かに脅迫されていた。神崎が事件を起こし、失踪したのもちょうど十年前」
「たしかに、時期は一致しますね」
「ふたつめは、芹沢の残した血文字だ」
「――『ラーフ』、でしたね」と岸原。
「芹沢の本棚には、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』という小説があった。『ラーフ』とは、『蠅の王』の主人公の名前だ」
「小説の登場人物――」
風間は携帯画面を見ながら、『ラーフ』なる架空の人物の説明をはじめた。
「『蠅の王』の冒頭に、ラーフの描写がある。ラーフは金髪の少年で、ふるまいはとても品がいい。年齢は十二歳と数ヵ月だそうだ」
「神崎が事件を起こしたのは十五歳のとき。白人の血が混ざっているためか、その頭髪は金色だった――特徴は似ていますね」
「事件を起こし、失踪した神崎は芹沢のもとを訪れた。正体を隠すために、外見の異なるボディに脳を移植するためにな。芹沢はそのとき、神崎の真の姿を見ているはずだ。あとか先かは知らないが、『蠅の王』を読んだ芹沢は思った。まるでラーフのような少年だ、とね」
「だから芹沢は、『ラーフ』と床に記した。でも、伝えるのなら、名前を直接書いたほうがいいと思いませんか」
「知らなかったんだよ」と風間はいった。「神崎が自分の名前を語るはずがないし、『人体解剖事件』は一大ニュースになっていたが、少年である神崎の姿が報道されることはなかった」
「名前も知らず、素性もわからない少年に、芹沢は協力していた……」
「脅迫されてたんだろうけどな。それから十年間、芹沢は神崎に協力を強いられることになる。神崎がなんらかの犯罪に関わっていると、芹沢は承知していただろうぜ。だが、神崎がネクロマンサーであるという考えには至らなかった。なにせネクロマンサーは、正体不明だからな」
「知っているとしたら、あのとき口にしていたはずですしね」
「少年だった神崎に屈服した点が不可解だが、神崎がロボットを操り、人を殺す方法を心得ていたとするなら、わからなくもない」
「私の父を、殺したように……」
タイヤが路面を擦る音だけが、車内に響いていた。岸原は、はたと思いつき風間に訊いた。
「三つめの理由ってなんです?」
「ああ、三つめね」風間はにやりと笑った。「ハートの声だよ」
目的地に到着すると、風間と岸原は車から降りた。鬱蒼とした木々を背景にして、三階建ての建物があった。コンクリート製の外壁は老朽化し、ひびが入っている。
「しかし、憶測だらけの推理ですよね。よくもまあ、堂々と神崎の名を叫びましたね」
「当たったんだからいいだろ」と憤慨する風間。
高い塀と、鉄製の門で、建物の敷地と外部は隔たれていた。門の脇には、さびついたプレートがはめられている。〈暁の家〉――プレートには、そう記されていた。
神崎が入所していた、児童養護施設だった。
「約束どおりに来てやったぜ。神崎玲音くん」
〈暁の家〉の家を見上げ、風間は挑発するようにいった。
2
電気羊事件の二日後・深夜――本庁の屋上に、不審なドローンが落下した。解析をまかされた秋葉は、ドローンが未登録であること、また、ストレージ内部に暗号化されたデータが入っていることを確認した。
暗号の種類は、託宣ファイルのものと同一だった。すぐさま暗号を解いた秋葉は、ファイルを開いた。ファイルには、短い文章が保存されていた。
『親愛なるロボット犯罪捜査班諸君へ。
君たちの功績を評して、私の思い出の地に招待しよう。
五月十六日、午後四時。〈暁の家〉で待っている。
ゲストは風間秀警部補と、岸原那々巡査だ。
全員をもてなすほどの器量を、私は持ち合わせていなくてね。
もし、ゲスト以外が〈暁の家〉に近づいたなら、私はその数だけ人間を殺すだろう。
ロボットやドローンを近づけても、私は同数の人間を殺害する。
招待するのは、風間秀警部補と岸原那々巡査、ふたりだけということだ。
それでは、来訪を楽しみに待っているよ。
ネクロマンサーより 愛を込めて』
視界のデジタル表示が、音もなく時を刻んでいる。午後四時まで、あと一分だった。門から見える範囲では、なんの動きもない。前庭には人やロボットの姿はなく、廃れた遊具が放置されているだけだった。『人間解体事件』のすぐあと、施設は閉鎖されたのだった。
風間は銃をくるくると、指先で回転させていた。
「おい、岸原」風間はふいに声をかけた。「親父さんのこともあるかもしれねえが、あんまり出過ぎたマネすんじゃねえぞ」
「逃げ腰になれってことですか?」風間をにらんで、岸原はいった。
風間は、岸原をにらみ返した。
「おまえ、一度もアンドロイドを撃ったことないだろ?」
岸原は視線を落とした。ロボット犯罪捜査班に入って、一ヵ月半あまり。短い期間で、いくつもの事件に関わった。だが、アンドロイドを撃ったことは一度もない。ただの一度も。撃ち倒してきたのは、風間のほうだった。
「ネクロマンサーがなにを企んでるか、見当もつかない。おまえは慎重に行け」
「まだ私に、瀬川元巡査の面影を見ているんですか?」
風間は目を丸くしたが、すぐにふっと笑った。
「いいや、瀬川はおまえほどでかくねえよ」
ちょうど、午後四時になった。岸原がチャイムを押そうとしたそのとき、門がひとりでに動いた。耳障りな金属音を響かせながら、門が内側に開いてゆく。
ふたりは前庭に足を踏み入れた。玄関の前まで歩を進めると、ドアが押し開かれ、黒いローブを着た女性が姿を現した。
ローブからのぞく顔は、陶器のように白く、美しい。
識別結果が、視界に表示された――〈ROBOT〉。
ふたりは即座に、銃を向けた。
「ようこそ、おいでくださいました」
芝居がかった口調で、アンドロイドはいった。
「あなた方に、危害を加えるつもりはありません」アンドロイドは手を広げた。「私はただの案内役にすぎないのですから」
「案内役?」と岸原は聞き返した。
「そうです」アンドロイドは微笑んだ。「ご案内しましょう。彼の物語を」
くすんだリノリウムの床。亀裂の入った壁。はがれかけたポスター。建物内は、腐敗が進行していた。
廊下を歩んでいたアンドロイドが、ふと足を止めた。振り返ると、その腕には赤ん坊が抱かれていた。
「ARだ」と風間はいって、携帯を取り出した。
アンドロイドはゆっくりと、首を横に振った。
「レイヤーは落とさないでください。これも彼の定めたルールです」
風間は舌打ちをし、携帯をしまう。岸原の耳元で、風間はいった。
「奴のいいなりになるのはムカつくが、しばらくは様子を見る」
アンドロイドは岸原に近寄り、赤ん坊を見せた。
「かわいいでしょう。〈暁の家〉に引き取られたばかりの彼です」
三次元映像で表示された赤ん坊は、本当にそこにいるかのようだった。くりくりとした蒼い目が、不安そうに揺らいでいる。頭部にはわずかに、金色の髪が生えていた。
触れようとすると、手は赤ん坊のなかに消えた。
「〈暁の家〉の前に捨てられていた彼を見て、職員は思ったそうです。まるで天使のようだ、と。彼は歓迎されました。〈暁の家〉はキリスト教系の団体が運営していた施設です。案外、本当に彼を天使だと思っていたのかもしれません」
「くだらねえ」風間は吐き捨てた。「奴のガキのころになんて、興味ねえぜ」
赤ん坊はかき消えた。構成していた光の粒子が、残り香のように舞った。
アンドロイドは一度微笑むと、廊下の先に進んだ。右手にあるドアの前で立ち止まり、ノブを静かに握った。
「この部屋は多目的室と呼ばれていました」アンドロイドはドアを開き、ふたりを招き入れた。「子供たちはここで、みなと遊んでいました」
多目的室に入った岸原は、思わず声をあげた。部屋のなかに、子供たちがいたからだ。積み木やお絵描き、お人形遊びをしている子供もいる。職員が慈愛に満ちた表情で、その様子を眺めている。
床にはクリーム色のカーペットが敷かれ、壁には子供たちが描いた絵がかざられている。朽ち果てた廃墟にいるとは思えないほど、現実味を帯びた光景だった。
「よくもこんなデータを作ったもんだぜ」風間は部屋を見渡した。「すべてはまがい物にすぎないけどな」
部屋の隅に、うずくまっている子がいた。白い肌をした、金色の髪の子供――神崎玲音だ。
「彼は周囲の人間とコミュニケーションをとろうとしませんでした。正確にいえば、できなかったのです。彼は自閉症でした」
子供たちが神崎に近づき、頭を小突いたり、積み木を投げたりした。神崎は一切の反応を示さなかった。虚ろな視線を、床に向けている。
「自閉症の症状にあるように、彼は言葉を用いませんでした。彼は周囲と断絶し、孤立していました」
「昔から孤立してたのかよ」と風間は鼻で笑った。「そんなにかわいそうだと思われたいのか。遠隔操作してるんだろ、ネクロマンサー」
風間の問いに、アンドロイドは沈黙で返した。はしゃぎまわっていた子供たちが静止し、輝きを帯びてゆく。光となって、子供たちは霧散した。
「そんな彼に変化が現れたのは、二〇一八年のある日のことでした」
多目的室に、成長した子供たちの姿が表示された。背格好から推して、神崎は七、八歳歳ぐらいだろうか。子供たちはみな床に座り、職員の話に耳を傾けている。岸原たちが入ってきたドアが開き、子供たちが振り返る。
車椅子を押して、別の職員が入室した。車椅子に乗っているのは、若い女性だった――いや、女性型のアンドロイドだった。話をしていた職員の横に、車椅子をつける。
「今日からいっしょに働くことになった、アンドロイドのエリカさんです。みんなの遊び相手になってくれますよ」
子供たちが、アンドロイドに押し寄せる。ボディに触ったり、話しかけたりしている。エリカは笑顔で、子供たちに応える。
神崎は立ち上がったものの、その場から動かなかった。アンドロイドを、じっと見つめている。
「実験的に、アンドロイドが職員として採用されました。彼に変化が起きたのは、そのあとのことです」
テレビのリモコンを操作したように、世界が早送りになった。
子供たちはアンドロイドと触れ合ったが、あきてしまったのか部屋の外に出て行った。だが、神崎だけはちがった。アンドロイドに目を奪われ、すこしも動こうとしない。その様子にあきれたのか、職員たちも部屋から出て行く。
部屋には、神崎とアンドロイドだけが残った。
時間の流れがもとにもどり、神崎はアンドロイドにゆっくりと近寄った。
そして、神崎は口を開いた。
「お母さん……?」
アンドロイドは微笑んだ。神崎も微笑み、ふたりは会話をはじめた。
「彼がはじめて言葉を話したのは、このときのことでした。彼は依然として、人間と話そうとしませんでした。ですが、アンドロイドには心を開き、意思疎通をすることができました。彼はエリカを、本当の母親だと思うようになりました」
「イカレてる」と風間はいった。「二〇一八年製のアンドロイドだぞ」
二〇一八年は、ロボット革命の前夜だった。製造されるアンドロイドはコミュニケーション能力はあったが、その外貌は、ひとめ見れば機械だとわかるほどの質だった。顔はのっぺりとしていて、表情に乏しい。アクチュエーターが少なく、動作もぎこちない。運動能力は極端に低く、歩行することさえできない。
そんなアンドロイドを、神崎は母親だと思い込んだのか。
岸原はおそるおそる、案内役のアンドロイドに目をやった。やはりだ。そのアンドロイドの顔は、エリカとそっくりだった。
案内役は、エリカを元に造られた、最新型のアンドロイドだった。
すべてが砂になったかのように、風景が消え去った。あとに残ったのは、ぼろぼろのカーペットと、いまにも崩れそうな壁。
「二階にご案内しましょう。彼の部屋があります」
3
階段を上がりながら、アンドロイドは静かに語った。
「子供たちにはひとりずつ、部屋があてがわれていました」二階に着くと、アンドロイドは廊下を進んだ。「彼の部屋はこの先です」
風間はポケットに手をつっこみ、不満そうにいった。
「なあ、いつまで続くんだよ、この茶番は?」
アンドロイドは答えなかった。廊下の片側に、いくつもドアが並んでいる。ドアには、かわいらしい文字で書かれた、表札がついていた。
『神崎玲音』――そう記されたドアの前で、アンドロイドは止まった。
ドアを開くと、そこには過去の光景があった。神崎はベッドに腰かけている。背丈が伸び、その顔は凜々しく成長していた。秋葉に見せてもらった、神崎の写真と近い年齢だ。おそらく、十五歳ぐらいだろう。
神崎の目の前には、車椅子に乗ったエリカの姿があった。神崎は楽しそうに、エリカと話をしている。
傍らに立つ、エリカによく似たアンドロイドはいった。
「年月がたつにつれ、彼はアンドロイドを専有するようになりました。問題はありませんでした。他の人間は、とうにアンドロイドへの関心を失っていたからです。職員たちは、アンドロイドが神崎を世話してくれるので、喜んでさえいました」
やさしそうな笑みを浮かべながら、神崎はアンドロイドのほおに手を触れる。
「しかし、新しいアンドロイドが次々と発表されてきました。新しいアンドロイドは、家事をこなし、高度なコミュニケーション能力を有しています。職員たちは、維持費のかかる旧型のアンドロイドを廃棄し、利便性の高い新型のアンドロイドへの買い替えを決定しました」
電灯が消え、部屋は暗闇に包まれた。神崎はベッドの上で、眠りについている。その枕元にたたずむエリカは、神崎を見守っているかのようだった。
ドアがわずかに開き、細い光が部屋に射した。人影が部屋のなかに入り、足音に気取られないよう、慎重に歩を進める。車椅子の取っ手をにぎると、そろそろと室外に引き出す。
ドアが閉まり、室内はふたたび暗くなった。
「しばらくすると、彼は目を覚ましました」
神崎は上体を起こした。エリカがいないことに気づき、あたりを見回す。電灯をつけても、エリカの姿は見当たらない。岸原の身体をすり抜け、神崎は部屋の外に飛び出した。
風間と岸原も、廊下に出た。すこし進んだところで、神崎は凍り付いたように立ち止まっていた。その背中が震えていることに、岸原は気づいた。
神崎の視線の先には、台車を押す男性職員の姿があった。子供たちの部屋とは逆側にある一室から、出てきた矢先のようだった。
台車の上には、エリカの胴体と、切り離された腕と足が乗っていた。
「母さん……」
消え入りそうな声で、神崎はつぶやいた。
「アンドロイドを捨てるためにバラしたんだ」と風間。「そのまま捨てれば、人間とまちがわれる可能性があるからな。当然の処置だ」
「しかし、彼には理解できませんでした」背後から、アンドロイドがいった。「彼にとって、アンドロイドは母親そのものでした」
神崎はふらふらと、バラバラになったエリカに近寄った。男性職員は、一歩後ずさった。神崎はエリカの顔に手を触れ、うめき声を漏らした。そして、目をあげた。
男性職員は短い悲鳴をあげたが、もう遅かった。神崎が職員の首を絞めつけていたからだ。そのまま、職員が出てきた部屋に引きずり込む。
現実世界では閉まったままのドアを、風間が押し開けた。
神崎は職員を床に押し倒し、馬乗りになって首を絞めていた。呪いの言葉を、幾度もつぶやきながら。「よくも母さんを……。よくも母さんを……」職員のかすれた息が絶えても、神崎は首を絞め続けた。
職員が死んだことを、ようやく悟った神崎は、部屋のドアを閉めた。
「この部屋は、物置です。工具類なども収納されており、彼はアンドロイドを解体した工具を用いて――」
「やめて!」岸原は思わず、アンドロイドの言葉を遮った。
神崎は棚から、工具箱とノコギリを引き出し、職員のそばに工具箱を置いた。手に持ったノコギリを、躊躇なく職員の腕のつけ根にあてる。
ぎしぎしと、刃が骨を切る音がしはじめた。鮮血を浴びる神崎に、表情はなかった。ただ、作業に夢中になっている様子だった。
たとえその光景が、三次元映像であろうと、岸原には絶えられなかった。飛び散る血は、岸原を通り抜け、ドアを赤く染めた。
「やはりてめえは、気が狂ってるらしいな」と風間はつぶやいた。
四肢を切断し終えると、神崎はノコギリを床に落とした。血まみれの姿で、神崎は死体を見下ろしている。
「いえ、彼の行動は非常に論理的なものでした」ローブを着たアンドロイドがいった。「彼は人間とアンドロイドを逆にとらえていたのです」
「逆って……」岸原の顔は、蒼白だった。
「彼は人間をアンドロイドに、アンドロイドを人間に、とらえていたのです」
神崎は首をかしげた。しゃがみこみ、工具箱のなかをあさる。
「人間を、アンドロイドと同じように解体してもかまわないっていうのか」
アンドロイドは首を横に振った。
「彼はアンドロイドを解体しているだけです」
神崎は工具箱から、先の尖ったペンチを取り出すと、死体の胸に刺した。何度も。
「彼がそのような価値観に至るのは、必然でした。なぜなら、彼は人間と心を通わせられず、アンドロイドとのみ心を通わせていたからです」
空いた穴に指を押し込むと、神崎は無理やり皮膚を引きちぎった。
「なにをしてるんです」岸原はいった。「復讐は終わったんじゃないですか」
露出した肋骨を、神崎は力ずくで開く。
「アンドロイドに依存する彼を見て、職員のひとりがいいました。『人間とアンドロイドはちがう。人間にはハートがあるが、アンドロイドにはハートがない』と。職員は自分の胸を指さし、そう説明しました」
神崎はぼそぼそと、なにかをつぶやいていた。その声が、鮮明になって聞こえてきた。
「どこだ……。ハートはどこにある……」
「人間にハートがあるのか、彼は疑問に思っていました。彼はロボットのハートを感じることはありましたが、人間のハートを感じることはありませんでした。彼は人間のハートの所在を、たしかめてみたいという衝動に駆られたのです」
神崎は心臓をにぎると、つながった血管ごと引きちぎった。しばらく心臓を見つめていたが、神崎はそれを投げ捨てた。
「どこだ……。ハートはどこにある……」
「彼は知っていました。心臓は、血液を供給するポンプにすぎないということを」
神崎は腹を引き裂き、なかをまさぐりはじめた。
「肺も胃も肝臓も腎臓も、脾臓も小腸も大腸も、人間の生命を持続させるためのパーツにすぎません。そのすべては、機械が代替することができます。全身サイボーグのあなたなら、そのことをよくご存じのはずではないですか?」
風間は無言だった。神崎は臓器を取り出すたび、「これはちがう」といって床に投げ捨てた。床を埋め尽くすほどに、臓器が散らばっていった。
「これが、『人体解剖事件』の真相か」と風間。
神崎は工具箱から金槌を取り出すと、思い切り頭部に振り下ろした。骨が砕ける音。頭蓋を叩き割ると、神崎は脳を引き出す。両手に抱えられた、ピンク色でしわくちゃの塊。
「もしもハートがあるとするならば、それは脳のなかにあるはずだ。彼はそう考えました」
首をかしげ、神崎は子細に脳を観察する。
「バカな。ハートは脳のはたらきにすぎない」
「彼は実際にたしかめてみたかったのです。この目で」
神崎は脳を床に置くと、真ん中を縦に走った溝に指をかけた。神崎は脳を開いた。右半球と左半球にわかれた脳が、床に転がる。
血に染まった手を、脳の断面に這わせる。
「……ない」と神崎はいった。「どこにもない」
「彼は確認しました。人間には、ハートという臓器がどこにもないことを。施設の職員の話は、嘘だったということを」
「どこにもないんだ!」神崎はそういって、笑った。狂ったように笑った。
科学で創られた幻想がかき消えても、神崎の笑い声が残響となって、いつまでも響いているようだった。
4
風間と岸原は、アンドロイドとともに三階に向かった。アンドロイドの声が、狭い階段に響く。
「施設を脱走した彼は、芹沢勤というサイボーグ医師に出会いました。彼は外見の異なるボディに脳移植をし、自らの肉体を焼きました」
風間の推理は、当たっていたようだ。アンドロイドは続けた。
「その後も彼は、姿を変え続けました。他者のボディに移ることで、資金や情報を得て、別の脳が入っていると悟られる前に、新たなボディに脳を移植しました。彼は小林悠太と呼ばれたこともありました。東堂省吾と呼ばれたこともありました。そして、今の彼は――」
三階に着いたとき、唐突に、アンドロイドは膝から崩れ落ちた。
「案内はここまでってことか」
風間は青い銃を抜いた。岸原も銃を抜く。
目の前に、両開きの大きな扉があった。ふたりは視線を交わし、うなずいた。
扉を押し開け、ふたりは部屋のなかに入った。
岸原は自分の目を疑った。ずらりと列になって、左右に長椅子が並んでいる。長椅子に挟まれた中央の通りには、赤い絨毯が敷かれ、奥まで続いている。奥には祭壇があり、壁面上部には十字架がかけられている。
そこは、礼拝堂だった。どこまでが現実で、どこまでがARなのか、岸原にはわからない。キリスト教系の団体が運営していたのなら、施設に礼拝堂があっても、不思議はないだろうか。
礼拝堂には、黒いローブを着た人物が三人いた。ひとりは聖書を手にして、祭壇に腰かけている。残りのふたりは祭壇の左右に、うつむいて立っている。目深にかぶったローブで、顔は見えなかった。
祭壇に座る人物は、足をぶらつかせながら、聖書を読み上げた。
「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。『おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。』」
ふたりは赤い絨毯の上を、一歩一歩進んだ。
「イエスはお答えになった。『人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、〈わたしがメシアだ〉と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。』――マタイによる福音書、第二十四章」
「意外と信心深いんだな」風間は挑発的にいった。
ローブを着た人物は、ぱたんと聖書を閉じ、祭壇の上に置いた。
「いや、神様なんて信じちゃいないよ。神は沈黙していて、ぼくらの言葉に答えることはない」
祭壇から飛び降り、ローブを着た人物はいった。
「ぼくは沈黙しないけどね」
風間は銃を構え、いい放った。
「じゃあ、おれが沈黙させてやるよ」
「君らしい返答だ」
その人物は、ローブを宙に脱ぎ捨てた。岸原は言葉を失った。ARの続きではない。たしかにそこに、存在している――十五歳の神崎玲音が。
顔に、識別結果が重なっていた――〈HUMAN〉。
金色の髪を揺らし、神崎は両手を広げる。白いシャツに、黒いスラックスを身に着けているだけで、武器は持っていなかった。
「君と会うには最高のボディだと思わないか。風間君」
風間は口の端をつりあげた。
「ようやく見つけたぜ、ネクロマンサー」
風間はいきなり、銃を連射した。神崎は笑いながら飛び退き、祭壇のうしろに姿を隠した。神崎は祭壇から顔をのぞかせ、いった。
「君は本当に気がはやいね」
その顔めがけ、風間は銃を撃った。神崎は顔を引っこめる。
「もうすこし、話をしようよ。ぼくに聞きたいことがあるんじゃないの、岸原さんもさ」
祭壇のうしろから、神崎の笑い声が聞こえた。岸原はいった。
「なぜ、私の父を殺したんですか?」
神崎はすぐに答えた。
「邪魔だったからだよ。他に理由なんてないね」
怒りを抑えこみ、岸原は訊ねる。
「どうやって、アンドロイドを操ったんですか? 父を殺したアンドロイドは、ウイルスに感染してはいなかった」
「ぼくはロボットと心を通わせることができる。君のお父さんに捕まりそうになったから、ぼくはアンドロイドにお願いしたんだ。助けてくれとね。心やさしいアンドロイドは、規則に反してでも、ぼくの言葉を聞いてくれた」
「そんな嘘くせえ話、おれたちが信じると思うか?」と風間。
「理解できないだろうね。ただの人間には」祭壇のうしろで、神崎は笑い声をあげた。「ただの人間――岸原さんのお父さんも、ただの人間にすぎなかったよ」
岸原の放った弾丸が、祭壇を穿つ。
「良心の呵責はないのか!」
「一度も感じたことないな。君らがアンドロイドを殺すように、ぼくは人間を壊しただけだからね」
「いままで何人の人間を殺した。その数がいえるか?」
「さあ、数えたこともない。風間君はさ、アンドロイドを殺した数、おぼえてるかな。おぼえているわけないよね」
前に出ようとする岸原を、風間は制した。
「感情的になるな。奴の思うつぼだぞ」
「君にはいつもかわいい後輩がつくよね。風間君」
風間は舌打ちをし、祭壇を見やった。
「瀬川さんは残念だったよね。ぼくも悪いんだけどさ、すぐにアンドロイドを撃たなかった君も悪いよね」
感情を押し殺した声で、風間はいった。
「昔話が大好きみたいだな」
「前置きだよ」と神崎はいった。「これからはじまる余興のね」
「余興?」と岸原は聞き返した。
「あるいは、君たちゲストに送るプレゼントさ」
「てめえからのプレゼントなんて、もらいたくもないね」
「まあ、そういうなよ。僕はネクロマンサー――魔術師だ。だから、魔法を使うことができる」
祭壇から上体を出した神崎は、端正な顔に凶悪な笑みを浮かべた。
「唱えてみようか、復活の呪文を」
神崎は両指を鳴らした。すると、祭壇の脇に立つ人物のローブが、するりと落ちた。
左にいるのは、死んだはずの瀬川元巡査だった。
右にいるのは、死んだはずの岸原の父――治だった。
死んだ人間が復活するはずがない。神崎が造ったアンドロイドにすぎない。死んだその当時の姿を正確に再現した、まがいものの人物たち――。
「撃ってみろよ」と神崎はいった。「そこにマシンハートが存在しないとするなら、撃ってみろよ!」
礼拝堂に銃声が響いた。撃ったのは風間だった。瀬川元巡査の姿をしたアンドロイドの眉間に、弾丸は命中した。アンドロイドは倒れた。
識別を終える前に、風間は撃ったのだった。
「瀬川は死んだ。おれが殺したようなもんだ」風間は低い声でいった。「だが、二度死ぬ必要はない」
神崎めがけて、風間は全力で駆けだした。神崎は祭壇の上に飛び乗った。
「さすがだよ、風間君。でも、岸原さんはどうかな?」
岸原は神崎から、父の姿をしたアンドロイドに視線を移した。あのとき別れた父が、たしかにそこにいた。いつも難しい顔をしていた父が、いまは表情をほころばせている。私に再会したからか。いや、そんなはずはない。あれはアンドロイドにすぎない。
岸原の視界に、識別結果が表示された――〈HUMAN〉。
その瞬間、岸原の視界が白く染まった。
背景が取り除かれ、純白の空間が広がる。
そこにいるのは、自分と父だけだった。
「どうした、岸原。はやく撃て!」
風間が叫んでも、岸原には聞こえていない様子だった。アンドロイドを、じっと見つめている。風間の視界には、たしかにその男が〈ROBOT〉だと表示されている。
神崎がにやついている。なにか仕掛けたにちがいない。
しかし、岸原を助ける余裕はなかった。神崎の両腕から、銃身が飛び出してきたからだった。自分の左腕と同じギミックだ、と風間は心のなかで舌打ちした。
神崎が放つ銃弾を、長椅子の影に隠れてなんとかやり過ごす。
「しかし、正体に気づくのが遅すぎだよ。死霊魔術師(ネクロマンサー)っていうのは、ちょっとしたヒントのつもりだったんだけど」
「そんなことより、なぜ幼いころの自分を模したボディに移った。正体がばればれだろうが」
長椅子の背に、神崎が立っていた。風間を見下ろし、神崎はいった。
「君を理解するためだよ。風間君」
風間は銃を撃ちながら、あとずさった。神崎は椅子に倒れ込むようにして、それをかわした。
「理解だと?」リロードしながら、風間はいった。
「ぼくは君と同い年の二十五歳なんだ。君と同じように十五歳のボディに移れば、君がなぜ子供の姿になったか、理解することができると思ってね」
父は笑っていた。私は成長したけれど、父の背丈には追いついていないことに気づく。大きくて、力強い父。それでいて、いつも寡黙だった父。
私は父に問いかける。
「どうして、警察官にだけはなるな、なんていったの?」
父は暖かな笑みを浮かべ、いった。
「おまえを愛していたからだよ」
私を迎え入れようと、父は両腕を広げた。
なぜ撃たない、岸原。視界の隅で、岸原はアンドロイドに近づいていた。なにか話をしている。
風間は神崎を撃ち続けた。しかし、神崎は俊敏な動きで回避する。
「いくら撃っても無駄だよ。君よりスペックの高いボディにしたからね。加えて、ぼくは十五歳のとき、身長が一七〇センチもあったんだ。出力勝負じゃ勝てないだろうね」
「どうかな?」
風間は長椅子の背を駆け、神崎に接近した。思い切り、蹴りをかます。神崎は片手でそれを受け止めた。
「だからいったじゃない。勝てないって」
風間はにやりと笑った。神崎の背中越しに、右腕のアンカーを射出する。アンカーは壁に突き刺さり、ふたりは同時に壁に引き寄せられた。神崎が壁に当たるのと同時に、風間は膝蹴りをくらわせた。
神崎はうめいた。風間はアンカーを抜き、瞬時に通路まで飛び退いた。
ふたりが銃を構えたのは、ほぼ同時だった。
「で、てめえはおれを理解できたのかよ」
「わかったよ。君がなぜ、子供のボディを選んだのか」
ふたりの銃から、弾丸が射出された。神崎は避けたが、風間は右腕に一発くらった。その一瞬の隙で、神崎は距離を詰めた。銃を風間のひたいに押し当て、神崎はいった。
「君は、時間を巻き戻したんだろ?」
父は語った。
「おまえを愛していたから、おまえを傷つけたくないから、私はいったんだ。警察官にだけはなるなと」
私は父に歩み寄った。だが、父の目前でその足を止めた。
父は腕を下ろし、「どうした、那々」と声をかけた。
私は首を横に振った。
「警察官にだけはなるな、と私にいったのは、父さんが私を愛してたからじゃない」
私は愛する父に向けて、拳銃を構えた。
「やっぱりあなたは偽物だ」不思議と、目から涙があふれた。「父さんは愛なんて、そんな軽薄な言葉を口にしたりしない」
涙でぼやける視界に、父の顔が映る。その顔に、照準を合わせる。
「愛しているだなんて、父さんは一度もいわなかった。それはきっと、父さんが本当に私を愛していたからなんだと思う」
銃把をにぎる。引金に指をかける。
「私を撃つのか」と父はいった。
精一杯の笑顔をつくり、私はいった。
「私は警察官だから」
弾丸は、父のひたいを貫いた。
父は床に倒れた。そのひたいからは血ではなく、火花が噴出していた。
それでも、私は父を殺したのだと思う。
――私のなかの父を。
白い世界が粉々になり、花びらのように舞った。
礼拝堂の風景が、岸原の視界にもどった。倒れている父には、〈ROBOT〉という文字が重なっていた。識別装置の誤作動か、いや、きっと神崎がハッキングしたにちがいない。ARと連携している携帯に、なんらかの細工を施したのだ。
位置情報を受信するために、望月と携帯の通信をしたことを、岸原は思い出した。
「よくやった、岸原」風間の声が聞こえ、岸原は振り返った。「こいつの狙いは、おれたちを敗北させることだった。ロボットを撃てなかったという事実を、汚い真似でつくってな」
通路上に、ふたりの姿があった。風間は右腕を抱え、うずくまっている。その頭に、神崎は銃をつきつけていた。
「話を逸らしたということは、図星なのかな」と神崎はにやついた。
岸原は、神崎に銃口を向けた。
「あなたが撃てば、私も撃ちます」
「いやいや、ぼくはちょっと話をしたいだけなんだよ」神崎は微笑んだ。「彼が子供のボディに入った理由についてさ」
その理由は、風間と安藤しか知らないはずだ。得意のハッキングで、情報を得たとでもいうのか。
神崎は、友達と話をするような気軽な口調で、語りはじめた。
「彼はね、最初は年齢に合ったボディに入ったんだよ。でも、耐えられなかったらしいよ。瀬川さんを殺した罪悪感にさ」
「瀬川元巡査を殺したのは、あなたでしょう?」
岸原の詰問にかまわず、神崎は続けた。
「しかも、全身サイボーグだからね。岸原さんにはわからないかもしれないけど、全身サイボーグになると、時間が止まった錯覚に陥るんだよ。だって、身体が変化しないからね。風間君は瀬川さんを殺したその時間に、閉じ込められた感覚にとらわれた」
風間は力なくいった。「よくも調べたもんだぜ」
「彼、何度も死のうとしたらしいよ。でも、うまくいかなくてさ。全身サイボーグ化手術を監修した安藤さんも、頭を抱えちゃって。けど、安藤さんは優秀だよね。とんでもない奇策を思いついたんだから」
神崎は口の端をつりあげた。
「子供のボディに脳を移すことで、時間を巻き戻そうなんてね」
岸原は眉根を寄せた。「時間を、巻き戻す……?」
「子供のボディに入れば、過去にタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれる。そうすることで、瀬川さんが死んだ出来事から、時間的に遠ざかることができるわけだよ。もちろん、仮想的にだけどね」
風間は銃を構えようとしたが、神崎に蹴り飛ばされた。青い銃が、床を転がった。
「一番遠い距離を、安藤さんは選んだ。労働者としての最低限の年齢――十五歳をね。非常に実験的だったけど、見事に成功した。風間君がトラウマに悩まされることはなくなった。だって、瀬川さんが死んだのは現在でも過去でもなく、未来なんだから当然だよね」
風間を見下ろし、神崎はいった。
「これが、彼が子供のボディに移った理由さ」
礼拝堂に、静寂がおりた。ひとつため息をついたあと、風間は口を開いた。
「おれは逃げたんだよ、自分の過去から。情けない話だ」
「ネクロマンサーの話した内容は、事実なんですか」
嘘だといってほしかった。風間秀は、過去から逃げるような男ではないと、証明してほしかった。しかし、風間はうなずいた。
「だがな」風間は顔をあげ、神崎を見据えた。「おれがこのボディに入ったのは、それだけが理由じゃねえ」
「たとえば?」と神崎。
「常人を超えた、圧倒的なスペックを手に入れるためだ。てめえに復讐するためにな」
「それが、このざまかい?」
嘲笑う神崎に、風間はいい放った。
「切り札は、最後まで残しておくもんだろ」
神崎の表情が変わった。風間は不敵に笑った。
「さすがのネクロマンサーでも、知らないらしい。こいつはトップシークレットだからな」
「どうせ、お得意のハッタリだろう」
「どうかな?」
風間は瞬時に身を引いた。神崎は腕から露出した銃で、連射した。弾が当たったかのように見えたが、長椅子の上にひらりと立った風間は、損傷した右腕以外、無傷だった。
神崎は首をかしげた。
「弾をすべてかわしたか。なんだい、その芸当は?」
風間はにやりと笑った。
「加速装置(ブースター)だよ」
そういって、風間は駆けだした。神崎は両腕の銃を撃ち続けた。しかし、近づく風間に弾は当たらない。神崎の目前で、風間は左腕のギミックを作動させた。
露出した銃は、神崎の胸に突きつけられた。
「悪いな。おれはチートキャラなんだよ」
弾丸が、神崎を貫いた。衝撃で、神崎は祭壇の前までふっ飛んだ。胸から、稲光が爆ぜる。バッテリーを撃ち抜いたのだ。
「タキサイキア現象――事故直前の光景などが、スローモーションに見えるアレのことだ。ボディに組み込まれた装置から、脳に電気刺激を与えることで、おれは意図的にタキサイキア現象を起こすことができる。負担が大きいから、乱用はできないがな」
これが、風間の超人的な身体能力の由縁というわけか。小さな身体に秘められた、大きな力――岸原さえ、あきれてしまうほどの。
風間と岸原は、倒れている神崎に歩み寄った。バッテリーが破壊されたため、自由に身体を動かせないようだ。わずかに口を開き、神崎はつぶやいた。
「脳改造か……」
「脳の処理速度が加速し、世界がスローに見える。弾丸をかわすぐらいわけないね」
神崎は苦笑した。銃口を向け、風間はいった。
「最後に訊きたい。おまえはアンドロイドを人間と、人間をアンドロイドと見なしているようだが、矛盾してるぜ」
神崎は風間を見上げた。倒されても、その美貌は崩れてはいなかった。
「ネクロマンサー、てめえのハートはどこにある?」
神崎は微笑んだ。
「ぼくは人間とロボットの境界を破壊するための、実行ファイル(ドット・エグゼ)にすぎないのさ」
そして、神崎はぱちんと指を鳴らした。風間は首をかしげた。
「は? なんだよそれ」
神崎はくすりと笑った。
「ぼくの最後の切り札さ」
そのとき、礼拝堂に鋭い音が響いた。窓ガラスが割れた音だった。
岸原は驚愕に目を見開いた。
窓から無数の白い影が侵入してくる。
それは鳩だった。
大量の鳩が、羽をまき散らしながら、室内に飛び込んでくる。鳩は風間の身体に当たり、視界を遮る。まるで、白い嵐のようだった。
鳩を追いやりつつ、神崎に目を向ける。神崎の元に、鳩が群がってきている。風間はとっさに携帯を抜き、ARのレイヤーを切った。
虚像が実像に変更された。飛来したのは鳩ではなかった。それは、ドローンだった。黒いボディをしたドローンが、群れをなして襲ってくる。
ドローンに囲まれた神崎は、黒雲に乗ったかのように、宙に浮いた。複数体のドローンが足場となって、神崎を支えているのだ。
風間は左腕の銃で撃った。だが、飛び交うドローンに遮られ、銃弾は届かない。
宙に舞い上がった神崎は、十字架を背景に、悪魔のような哄笑を轟かせた。
まるで吹雪のように、白い羽が散っていた。
岸原は見上げた。
宙に舞い上がった神崎は、羽の生えた天使のようだった。
十字架を背景に、神崎は哄笑を轟かせた。
「いずれまた会おう。ロボットがヒトを超える、技術的特異点(シンギュラリティ・ポイント)でね」
そして、すべては光に包まれた。
5
警察官にだけはなるな、と父はいった。
父がなぜそういったのか、いまの私にはわかる気がする。
きっと父は、私の壁になろうとしたのだ。
警察官は、時には死に至ることさえある、危険な職業だ。
父の言葉を乗り越えられないような、半端な覚悟では勤まらない。
父はそのことを、不器用ながらにも伝えようとしたのではないか。
真意はもはや、たしかめようがない。
けれど、これが私の答えだ。
煙草の灰が、長くなっていた。病院の外に設置された喫煙所で、岸原は煙をくゆらせていた。昼間の太陽が、目にしみる。
ネクロマンサーが放った強烈な光で、岸原は意識を失った。光はARで表示された架空のものだったが、疲労が重なった岸原の身体に堪えたのだろう。呼びかけても反応しない岸原を案じ、風間自ら病院に連れて行ってくれたそうだ。
病院で目覚めると、すぐに風間に電話をした。ネクロマンサー――神崎玲音は捕まえられたのか、と。風間は答えた。
「ドローンに乗って窓から逃走。警察のドローンがあとを追ったが、途中で奴のドローンが散開。不思議なことに、乗っていたはずの奴の姿はなかった。消えたのさ。まるで、魔術師のようにね」
念のため、岸原は病院で一夜を明かすことになった。今日の午前の診察で、体調に問題がないことが確認されると、二時には退院してよいということだった。
岸原は灰皿に煙草を投げた。じゅっと音が鳴り、火は消えた。
「あれ、元気そうじゃん」
少年のような声がした。振り返ると、そこにはやはり少年がいた。小さいが、いさましい少年刑事――風間秀警部補だ。
いつものトレンチコート姿に変わりはないが、今日は手に紙袋を携えていた。
「なんですか、それ。退院祝いですか?」
風間は紙袋を持ち上げた。
「いや、おまえの一張羅」
「は?」
紙袋を押しつけ、風間はいった。
「とっとと着替えろ。病院に話は通しておいたぜ」
「え、どういうことですか?」
風間はにやりと笑った。
「事件だよ」
運転席に乗り込むと、助手席の風間はいった。
「悪いね。向井も秋葉も別件の捜査にかかりっきりでさ。電気羊事件の影響で、フォロワーが活発化しやがってね」
岸原はサイドブレーキを下ろした。
「場所は?」
「おまえの庭。渋谷だよ。位置情報は登録済み」
岸原はアクセルを踏み、車を病院から出した。
「フォロワーの犯行予告通りに、アンドロイドによる殺人事件が発生。まあ、奴とは関係ないだろうがな」
「風間さん、ひとつ訊いてもいいですか?」
道を急ぎながら、岸原はいった。
「なんだい、相棒」
「風間さんは、ネクロマンサーを捕まえるために、全身サイボーグになって刑事を続けたんですよね」
「そうだね」
「もし、ネクロマンサーを捕まえられたら、風間さんはどうするんですか?」
風間は即答した。
「とりあえず、実年齢のボディに移るさ。その先はわからないね」
「本来の身体に、もどすんですね」
「ああ、背を高くしたいからな」
「私よりもですか?」
風間は押し黙った。岸原は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、おれからも訊かせてもらおう」
「なんですか?」
「捜査で一番重要なことって、なんだと思う?」
「知ってますよ」と岸原はいった。「スピード、ですよね」
岸原は、アクセルペダルを踏み込んだ。
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