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【長編小説】MACHINE HEART 警視庁捜査一課ロボット犯罪捜査班 ②

更新日:7月20日

Case:02 STAND ALONE


       1


 日曜は、非番だった。

 なにをする予定もない岸原は、煙草をくゆらせるばかりだった。開け放った窓から、煙が抜けてゆくのを、ぼんやりと眺める。

 殺風景なワンルームには、ヤニのにおいが染みついていた。渋谷署に配属が決まったときに、借りた部屋だった。渋谷駅にほど近い位置にあるので、本庁へもここから通っている。桜田門は、地下鉄で十分ほどの距離だ。

 散らかった部屋を見て、岸原は思う。男性が来たら幻滅するだろうな、と。だが、岸原には交際している男性もいなければ、親しくしている友人さえいなかった。こまめな連絡をおこたると、人は自然に離れてゆく。

 仕事をしているときは、仕事仲間がいるから、孤独は感じない。だが、非番は別だ。

 警察学校時代にできた友人にでも、電話してみようか。でも、むこうも忙しいだろう。会えたとしても、どうせ仕事の話になるに決まっている。つまらない愚痴を聞くのは、好きではなかった。

 起きたばかりだが、もう正午をすぎていた。着替えをし、簡単に化粧をすませると、岸原は街に出た。食事をするためだ。

 渋谷駅前には、そこかしこにAR広告が踊っていた。ビルにはべったりと宣伝映像がはりつき、空中には各店のマスコットキャラクターが漂う。フキダシにはこうあった。『ただいまキャンペーン中!』。

 飲食店の前には、メニューが表示されており、注視すればおすすめ商品がポップアップする。余計なお世話だと、岸原は思う。

 携帯を操作し、ARのレイヤー(多層表示)を落とした。情報量は格段に下がり、無味乾燥な街並みとなった。実物ではなく、ARに装飾をたよっているためだ。まるで世界が、カラーからモノクロに変化したようだった。

 岸原は行きつけの中華料理屋に足を運んだ。食事をしながら喫煙が許される、数少ない店舗だ。

 チャーハンを注文すると、さっそく煙草に火をつけた。店の壁際に置かれた古ぼけたテレビを、なんとなく見つめる。アンドロイドがキャスターをしている、二十四時間放送のニュース番組だった。

 番組では、『総和銀行立てこもり』事件の特集をやっていた。

 あの事件から、一週間が経過した。不正送金された金は、警察の手によって、銀行に返金されている。しかし、総和銀行のシステムをハッキングした人間の特定にはいたっていない。

 風間は秋葉を使って、総和銀行のパソコンのログを解析したが、侵入者の痕跡はなかった。新たな事件が起こるわけでもなく、ロボット犯罪捜査班は、ただ平和な日々を過ごした。

 ネクロマンサーは、本当に復活したのだろうか。

 配膳係のアンドロイドが、チャーハンをテーブルに置いた。コピー&ペーストしたような笑みは、人工物にほかならなかった。レンゲを指でつかんだところで、視界に着信通知がちらついた。急いで電話にでる。

 岸原はうなずき、通話を切ると、会計をして店を出た。

 チャーハンはおあずけだ。刑事に休みはないらしい。


 現場は、目白の高級住宅だった。

 立入禁止のロープをくぐり、宅内に入ると、濃い血のにおいがした。制服警官に案内され、リビングに向かう。

「遅かったな、ド新人」

 あいさつ代わりに、風間はいった。

「しかたがないでしょう。非番だったんですから」

 リビングには、初老の男性があおむけに横たわっていた。男性を中心にして、カーペットに赤い染みが拡がっている。

「殺しだぜ。よりにもよって」

 しゃがみこみ、死体をのぞく風間。死体を検分していた鑑識課員が、舌打ちをして場所をゆずった。

「胸に五発も撃たれてる。死因はそいつでまちがいないだろう」

 そういったのは、風間のとなりにいた刑事だった。厳しい目つきと、顔に深く刻み込まれたしわは、数多くの捜査経験を物語っている。

「ロボット犯罪捜査班の岸原です」

「殺人犯捜査九係の丸山だ」

「丸山さん、ですか?」

 思わず聞き返した岸原に、丸山は表情をやわらげた。岸原を見つめ、感慨深げにいう。

「治(おさむ)さんのひとり娘も、こんなに立派になったか」

「丸山さんの話、父から聞いたことがあります。とても優秀だって」

 丸山は微笑んだ。しかし、その笑みはすぐに消えた。

「今では俺が係長だ。あいつが逝っちまったからな」

 しゃがれた声に、哀愁がこもっていた。父と丸山は、同じ九係だった。係長である父の右腕として、丸山は数多くの事件を担当したそうだ。父の死は、丸山にとっても、大きなショックだったにちがいない。

「昔話はそれくらいにしとけよ」

 風間は、いらだちを隠さずにいった。人差し指で、床を示す。

「ここ、事件現場なんだけど」

「そうだな」丸山は苦笑した。「ちゃんと仕事しないとな」

 岸原は風間をにらみつけたが、気にするそぶりもみせなかった。丸山はいった。

「通報があったのは、午前十一時半。近隣の住民が、銃声を聞いて一一〇番したそうだ。現場に駆けつけた警官が死体を発見。現場を確認したところ、ロボット犯罪であることが濃厚だったため、殺人班九係とロボット犯罪捜査班が臨場した」

「現場には被害者の他に、模造拳銃をもったアンドロイドがたおれていた。これ、十五分前の現場写真ね」

 風間は携帯画面を、岸原に向けた。死体のそばに、女性がうつぶせになってたおれている。その手には、拳銃がにぎられていた。おそらくこの女性が、アンドロイドということだろう。

 岸原は、部屋を見渡した。アンドロイドの姿はない。

「電源切って、隣の部屋にぶち込んどいたの。今、向井が簡易チェック中」

「アンドロイドが人を殺したんですか」

「おそらくね」と風間。「ロボットの人工頭脳は、人を殺したり傷つけたりできないように、いわばロックがかかってる。が、ウイルス感染や遠隔操作になれば話は別だ。先日の銀行立てこもり事件みたいにな」

 丸山は手帳を開き、目を走らせた。

「被害者の名前は北村誠一。五十二歳。大手建設会社の副社長だ」

「恨んでる人間は多そうだし、金目当ての犯行の可能性もある」と風間。

「ずいぶんと広い家ですが、ほかにだれが住んでいたんでしょうか」

「娘がひとりいる。北村美紀、二十一歳。大学生だそうだ。現在は外出中で、連絡がつかない」

「自分の車でどっかに行ってるみたいだぜ。アンドロイドを連れてね」

「アンドロイド?」岸原はおうむ返しにたずねた。丸山はいった。

「北村は、アンドロイドを二体所有している。家事手伝いのためだろう。北村の妻は、八年前に病死しているからな」

「子供ひとりに、アンドロイド二体ですか」

「その割には豪勢な家に住んでやがるな。マンションで十分だろ」

「メンツってやつさ」

 ドアが開き、向井が顔をのぞかせた――手錠をかけられた女性とともに。

 向井にうながされ、女性は一歩進んだ。おそろしいほど端正な顔立ちをした女性だった。この顔なら、岸原も知っている。世界最大手のロボットメーカー、ユニバーサル・ロボット社の最新アンドロイドだ。識別システムが、自動的に作動する。

 〈ROBOT〉

「おいおい、大丈夫かよ。起動させちまって」

「問題ない」と向井はいった。「簡易チェックでは、ウイルス感染は認められなかった。それが逆に問題ではあるがな」

 風間はわざとらしく、肩をすくめた。

「こりゃ面倒だぜ。犯人はどうやって、アンドロイドに人を殺させたんだ?」

「詳しく調べてみる必要があるな」と向井。

「アンドロイドが自発的に、銃を撃ったケースも考えられるんじゃないでしょうか」

 岸原がいうと、風間は首を横に振った。

「ないね。ロボットは、人間を攻撃できないようにデザインされてる。さっきいったばかりだろ」

「アンドロイドには、擬似的な人格があるんですよね。仮に、北村に激しい憎しみを抱いたとしたら。自ら故障して、銃を撃った可能性も――」

「マシンハートは存在しない。その仮説は成り立たねえ」

 風間は断言した。

「どうして、そういいきれるんですか」と岸原は詰め寄った。

「事実だからだよ。それとも殺人現場で、マシンハート問題の議論がしたいわけ?」

 岸原は口をつぐんだ。マシンハート問題――それは、機械に心が存在するか、という哲学的な問題だ。様々な分野の学者たちが議論をしているが、明確な答えは出ていない。そもそも、『心』という形のないものを定義することさえ困難なのだ。

「丸山係長!」ドアがいきおいよく開き、若い刑事が駆けこんできた。

「どうした、元村」

元村と呼ばれた刑事は、風間と岸原に目をやったあと、丸山に耳打ちした。

 丸山はうなずき、風間にいった。

「悪いが、あとはロボット犯罪捜査班に引き継ぐ。別件が入った」

「いいけどさ」風間はにやつく。「なにも隠さなくたっていいでしょ。公安じゃないんだからさ」

「九係で追っている『全身サイボーグ失踪事件』に進展だ」

「おれも気になってた事件だ。犯人が見つかったの?」

「いや、その逆だ」丸山は目を伏せた。「もうひとり、全身サイボーグが行方不明になった」

「やべえ、これでふたり失踪かよ。次はおれかも」

「おまえは大丈夫だ」

 風間を小突き、丸山は笑った。ポケットに手をつっこむと、丸山は名刺入れを取り出した。名刺にペンでなにか書き込んだあと、岸原に渡した。

「俺の携帯番号だ。なにか困ったことがあったら、いつでも連絡しろ」

「ありがとうございます」

 岸原が礼をいうと、丸山と若い刑事は去って行った。岸原は、名刺をまじまじと見つめた。風間がいった。

「アナログだねえ」

 岸原は一度、風間をにらんだ。向井がぼそりとつぶやく。

「で、こいつはどうする?」

 アンドロイドは不安そうに、みなの顔色をうかがっていた。

「本庁に持ち帰りだ。秋葉の解析に期待しようぜ」


       2


 会議室に入ると、長机の端に秋葉の姿があった。ノートパソコンから、アンドロイドに視線を移す。ロボット犯罪捜査班には、ロボットを調査するための部屋すら、与えられていなかった。しかたなく、空いた会議室を使っているという。

「係長は?」と岸原は訊いた。

「係長は学会です。今日は帰ってきませんよ」と秋葉。

「学会?」

 手錠をかけたアンドロイドを、向井は椅子に座らせた。

「安藤さんはサイボーグ工学の研究者。MIT卒の天才だぜ」

 そんなことも知らないのか、というような顔で、風間はいった。

「でも、警察官ですよね」

「警察やりながら、研究してるらしいぜ。研究対象はおれたち。たまに変なアンケート書かされるからな」

「ちなみに、風間さんのサイボーグ化手術を監修したのも、安藤さんですよ」

 眼鏡を光らせ、秋葉が口をさした。岸原はいった。

「係長はなぜ、警察に入ったんでしょう」

「予算を使いすぎて、大学を追放されたって話だぜ」

「ありうるな」と向井。

 秋葉はアンドロイドに歩み寄り、その身体をじっくりとながめていた。

「やっぱり最新型は、肌のきめ細かさがちがうなあ」

 触れようとする秋葉の手を、風間がうしろにねじった。

「大事な証拠品だ。気やすくさわんじゃねえ」

「はい、すみませんでした。作業にとりかかります」

 秋葉は、パソコンから伸びた長いケーブルを持った。アンドロイドのうなじの一部を、めくりあげる。そこには電源スイッチと、外部接続用のポートがあった。標準的なアンドロイドの仕様だ。ポートにケーブルの先端を差し込み、秋葉はパソコンの前にもどった。

 岸原は、アンドロイドの向かい側に腰かけた。

「彼女、しゃべれないんですかね」

アンドロイドは会議室に連れてくるまで、一言も発していなかった。

「しゃべらないように命令したんだ」と向井が答えた。

「しゃべるように命令してもいいですか」

「そんなことはする必要ねえ。データだけ引き出せばいい」と風間。

「もうしゃべっても、オッケーですよ」

 秋葉がいうと、アンドロイドは口を開いた。

「北村ユカと申します。よろしくお願いします」

 片手でキーボードを叩きながら、秋葉は親指を立てた。

「声が聞きたかっただけだろ」と風間。

 ユカと名づけられたアンドロイドは、岸原に向かって微笑んだ。百点の笑顔だった。殺人事件の被疑者とは思えないぐらいの。

 単刀直入に、岸原は訊いた。

「北村誠一を殺したのは、あなたですか」

 風間は椅子の背にのけぞった。

「マジかよ。ロボット相手に取調べしようとしてるぜ」

 向井は腕を組み、低い声でいった。

「好きにやらせればいい」

 ユカは小首をかしげ、もとの位置にもどした。

「殺したかどうかは、わかりません」

 意表をつかれ、岸原は目をしばたいた。人間のように、ごまかしているのだろうか。それとも、質問の意味がわからないのか。

「北村誠一を銃で撃ったのは、あなたですか」

 具体的に訊けば、アンドロイドにも通じると思った。だが、ユカはいった。

「それも、わかりません」

 会議室に、冷たい空気がおりた。

「北村誠一さんは、今日午前十一時半ごろ、何者かによって銃で撃たれ亡くなりました。犯行現場には、銃を持ったあなたが倒れていたそうです。現場でなにが起こったか、あなたは知っているんじゃありませんか」

 ユカは、手錠がはめられた両手を机上に置き、身をのりだした。

「なにも知りません。刑事さんは、私を疑っているんですか」

 大きな瞳が、岸原を見据えた。

 アンドロイドが怒っているのか、自分がそう認識しているだけなのか、岸原にはわからなかった。

「なにも知らないというのは、長時間、気絶していた――というか、スリープ状態にあったから、ということですか」

 ユカは首を横に振った。

「ちがいます。今日午前十一時からの記憶に、アクセスできないんです」

「やられたな」と向井はいった。

風間はうなずく。「記憶が消去されてやがる。倒れていたのは、記憶の消去中だったからだ」

 秋葉はパソコン画面から、顔をあげた。

「確認しましたが、ウイルスや不正侵入の形跡はありません。異常といえば、記憶データの消去ぐらいですね」

風間は肩をすくめた。「北村美紀にはめられたのさ」

「どうして犯人が、北村美紀だと?」岸原は訊いた。

「記憶消去ができるのは、ユーザーのみだ。北村美紀は親父さんを殺害し、一部始終を目撃したアンドロイドの記憶を消去。銃を持たせ、そのまま現場に放置することで、アンドロイドが人を殺したかのように見せかけた。逃走するための時間稼ぎにね」

「北村自身が殺したとは限らない」と向井は鋭くいった。

「そうだった」と風間。「外出してるのは北村と、アンドロイド一体か」

 風間は腰をあげ、秋葉に指示した。

「消去された記憶データを復元しろ。何分かかる?」

「二十分です」

「じゃあ十五分だな。向井、車のナンバーから、北村の位置を割り出してくれ」

「了解」向井はいうと、会議室から出ていった。

 岸原は自分を指さして訊いた。「私は?」

「復元した記憶データを確認しろ。つまり、ここで待機。おれと向井が北村を追うから、心配するなよ」

 退出しようとする風間のコートを、岸原はつかんだ。

「私も行きます」

「捜査で一番重要なのは、正確さとかいってなかったっけ?」

「いいました。それがなにか」

「じゃあ、記憶データを確認して、ちゃんと証拠をつかまないと。正確な捜査のためにな」

 風間は岸原をふりほどき、部屋から出た。

 閉まったドアに、岸原は怒りをぶつけた。

「そんなに行かせたくないのかよ!」


 北村ユカは眠っていた。たんにスリープ状態になっているだけだが、岸原にはそう思えるのだった。寝息や呼吸のたびにゆれる肩が、見事に再現されている。ユカの記憶を復元させようと、秋葉はパソコンを操っていた。

 会議室に残るはめになった岸原は、いらつきをおさえきれずにいた。

「本当に腹立つな、あの人」

「いやぁ、妥当な判断だと思いますよ」

 なだめるように、秋葉がいう。

「妥当なものですか。秋葉さんが確認すればすむ話でしょう」

「ま、そうなんですけど」秋葉はカチリとキーを叩いた。「復元完了。映像出しますよ」

 会議室の壁面には、小さな幾何学模様が描かれていた。四角い渦巻きの絵だ。仮想ディスプレイの位置を定めるための、ARマーカーだった。

 ARマーカーを中心として、仮想スクリーンが立ち上がった。ユカの視覚映像が映る。

「犯行時刻と思われる、十一時半の五分前から流します」

 北村家のリビングに、ユカは立っているようだった。ソファーに女性が座っている。

「北村美紀ですね」と岸原。

 物静かなお嬢様、という印象だった。ゆるく巻いた髪に、気品を漂わさせている。

 ひとりの男性が、美紀のとなりに座った。手にしたカップを、美紀に手渡す。「ありがとう」と、美紀はうれしそうに微笑んだ。

「アンドロイドです。一応名前つけてますね」パソコン画面を見て、秋葉がいう。「北村ハルト。美青年アンドロイドと話題になったモデルですね。発売されたのは八年前。いまや旧型ですが、根強いファンが多いとか」

 すらりとした長身に、甘いマスク。少女漫画から飛び出してきたかのような、容貌だった。女性人気もうなずける。軟弱そうで、岸原の好みではないが。

 美紀とハルトは肩を寄せて、楽しそうに話している。まるでカップルのように。

「購入したのは発売直後。つまり、北村美紀が十三歳のころから、生活をともにしていることになります」

「もしかして」岸原はいった。「北村美紀は、ロボット愛者なんでしょうか」

 異性愛者や同性愛者がいるように、ロボット愛者もまた存在する。人間ではなく、ロボット――多くはアンドロイド――を、恋愛対象とする者たち。近年、増加傾向にある新しい人種だ。

「父親が来ましたよ」と秋葉。

 北村誠一はリビングに入るなり、ふたりを怒鳴りつけた。

「離れろ。機械なんかといちゃつくんじゃない」

 美紀は、テーブルにカップを置いた。

「嫌よ。父さんはなにもわかってないんだわ」ハルトの髪をなで、美紀はいった。「彼には心がある。人間と同じなのよ」

 誠一は美紀の腕をつかんだ。無理やり、ハルトから遠ざけようとする。

「アンドロイドとつきあうなど、恥さらしも甚だしい。おまえも俺も、世間の笑いものにされるぞ」

 美紀は、誠一を押しのけた。

「ハルトを愛してるの。いい加減、父さんも認めてよ」

 誠一は、美紀のほおを平手で打った。

「目を覚ますんだ、美紀。相手は人間じゃない。機械なんだぞ」

 ハルトがソファーから離れ、ふたりの間に入った。

「誠一様、暴力はいけません」

 毅然とした表情に見えるのは、岸原の主観だろうか。視点人物であるユカも、前に出た。人間に危険がおよぶ行為を、アンドロイドは見過ごさない。人間を守るように、設計されているからだ。

 誠一は顔を紅潮させた。怒りが頂点に達したのだろう。ハルトを突き飛ばすと、ポケットから模造拳銃のリボルバーを取り出した。

「動くな!」とハルトに命じる。

 ハルトは命令に従い、床に倒れたまま動かない。アンドロイドは、人間に危害を加えないという条件つきで、命令に従うようにプログラムされている。

「おまえはもう、廃棄処分だ。新しいアンドロイドも購入したからな。男性型を買ったのが、そもそものまちがいだったよ」

 銃口が、ハルトの頭に向けられた。美紀はとっさに、ハルトに覆いかぶさる。そして、ハルトに耳打ちした。なにをいったのかは、確認できなかった。

 ハルトは跳ね起きた。俊敏な動作に、誠一は虚を突かれた。ハルトはリボルバーを、むしるように奪った。

 そして、誠一に銃を向けた。

「アンドロイドに、人を撃てるわけがない」

誠一はあとずさりながらも、口元に笑みを浮かべた。その表情のまま、誠一は硬直した。自分の胸を見る。

 みぞおちにあいた穴から、血が流れ出していた。

「どうして……」

 かすれた声で、誠一はいった。ハルトは容赦なく、銃を連射した。弾丸を受けるたび、誠一の身体が振動し、鮮血が散った。誠一はよろめき、うしろ向きに倒れた。カーペットが赤く、染まってゆく。

 視界が、がたがたと揺れた。ユカが走っているのだ。誠一のもとにかがみこみ、声をかけはじめた。「誠一様、大丈夫ですか」と繰り返しいって、身を揺する。いまだに、死んだと認識していないのだ。

 視野の外から、美紀の泣きそうな声が聞こえた。

「なにも殺さなくても……」

「申し訳ありません。しかし、これで脅威は排除されました」

 アンドロイドらしい冷淡な態度だった。対する美紀は、戸惑いを隠せない。

「どうするの。あなたは人殺しになったのよ」

「僕は警察に処分されるでしょう。しかたありません」

 数秒の間ののち、美紀はささやくようにいった。

「ねえ」

「なんでしょうか、美紀様」

「逃げましょう。私といっしょに」

 美紀の提案に、ハルトは迷うことなく答えた。

「かしこまりました」

「ユカ!」美紀に呼ばれ、ユカは振り向いた。蒼白となった美紀の顔が、大きく映る。「ハルトの銃を受け取って」

 ハルトが差し出した銃を、疑問もなくユカは手にする。

「十一時から現在までの記憶を消去して。あらゆるタスクよりも、優先で」

「しかし、誠一様が……」

「大丈夫。私が救急車を呼んでおくから」

「かしこまりました。それでは、記憶の消去を行います」

 そして、視界は暗転した。

 仮想スクリーンが消えると、岸原はいった。

「撃ったのは、アンドロイドのほうでしたね」

「すぐに、風間さんに知らせます」

 秋葉はいうと、携帯を取り出した。通話する前に、岸原は訊いた。

「銃を撃つ前に、北村美紀がハルトになにか告げていましたが、聞こえましたか」

 秋葉は首を横に振った。

「口の動きを解析すればわかるかもしれませんけど、そんな余裕もないですよ」

 岸原は唇をかんだ。

「殺人を犯したアンドロイドが、逃走している……」

「すぐに捕まえなければ、またなにかしでかすかも」

 ふたりは顔を見合わせた。


       3


 足立区西新井の交差点に、車体をへこませた車が二台あった。一台は、片側のドア部分がひしゃげている。もう一台は、バンパーが破損し、ヘッドライトが割れていた。車の屋根には、赤色灯が光っている。運転席から、小さな人影が現れた。風間秀だった。

 車から降りると、向井はいった。

「また車つぶしたな。いい加減、係長もだまってないぜ」

「つぶしてねえよ。まだ動くんだからさ。それに、ぶつけでもしねえと止まらなかったろ」

 風間は、衝突した北村の車に近寄った。運転席をのぞくと、向井のほうに振りむいた。

「大学生のわりには、なかなかやるじゃん」

 見ろよ、とでもいうように、親指で車内を指し示す。

 運転席には、中年の男が座っていた――いや、座らされていた。男の手はビニールテープで、ハンドルにぐるぐる巻きにされていた。腰や足も、テープで運転席に固定されている。口にはハンカチがかまされ、自由に話せないようにされていた。

 風間は、歪んだドアを力づくではずした。大きな音をたてて、ドアが道路に落ちた。

「まんまとはめられたな」と向井。

 ハンカチをほどきながら、風間はいった。

「運転手を拘束して、自動運転(オートドライブ)にしてやがった。周囲に気づかれないためだろう。日本の交通法だと、オートドライブでも運転手が乗ってないといけねえからな」

「警察の追跡を見越していたか……」

 ハンカチをとると、男はまくしたてた。

「俺の車が、パクられたんだよ。有料駐車場に車とめてたら、いきなりカップルが押し入ってきて。思わず護身用の模造拳銃を出したんだけど、男のほうがすごい力でさ。撃つ間もなくとられちまった。あげくのはてにこのざまだよ」

「おまえさ、銃刀法って知ってる?」

「あっ、ええと……」

 男は視線をさまよわせた。いい訳も思いつかないらしい。風間は訊いた。

「おまえの車、盗難対策のGPSつけてんの?」

「つけてるよ。携帯に登録してあって、いつでも場所は確認できる」

「携帯よこせ」

 風間は手をさしだした。男はいぶかしそうな目で、風間を見つめた。

「あんたさ、本当に警官なの? まだ子供じゃん」

 風間は舌打ちし、警察手帳を開いた。

「携帯をよこせ。代わりに、模造拳銃の件は見逃してやる」

 男が出した携帯を奪いとると、風間は車に引き返した。

 視界には、秋葉からの着信を示すアイコンが浮遊している。北村の車を追っていたため、無視していたのだった。風間は電話をかけた。

「――なに、撃ったのはアンドロイドのほうだと?」


 秋葉は電話を切った。運転席の岸原に、車を停車させるようにいった。岸原は車を左に寄せ、ハザードランプを点滅させた。秋葉から風間の状況を聞き、岸原はいった。

「もうつかまえたんですか、早いな」

 岸原はハンドルを叩いた。風間よりも先に北村をおさえようと思い、車を走らせたのだが、やはり遅すぎたようだ。

「強奪したブルーのセダンで、北村は逃走中だそうです。位置情報が送られてきたので、車に反映させますよ」

 車載ディスプレイのマップに、赤い点がぽつりと光った。池袋駅近くの駐車場だった。フロントガラスに矢印が表示され、最短ルートがナビゲートされる。

「目白から、ほとんど動いてないですね」と岸原。

「時間稼ぎをしたのに、遠くに逃げていない。見つからないと、たかをくくってるのかも」

「行ってみれば、はっきりしますよ」

 岸原は車を発進させた。警視庁から出たばかりなので、岸原のほうが盗難車に近い。北村美紀を、確保できるかもしれない。

「風間さんにまかせとけばいいのに」

 ため息まじりに、秋葉がいう。

「あんな子供に、まかせておけないですよ」

 前方車を追い抜き、岸原はさらにスピードを上げる。

「そういえば今回の事件、似てますよね」

 秋葉がぽつりといった。いらだたしげに、岸原は訊いた。

「なにとですか」

 秋葉は眼鏡を、中指で押しあげた。

「あなたのお父さんの事件と」

 岸原は思わず、秋葉に目をやった。

「人を殺せないはずのアンドロイドが、なんらかの言葉を耳にしただけで、殺人をなしえた。岸原治さんのケースと、酷似していると思いませんか」

「父を殺したアンドロイドも、ウイルス感染などの異常は認められなかった。たしかに、似ていますね」

「犯人はどのような方法で、アンドロイドに人を殺させたのか。その謎が、今回の事件で解けるかもしれないですよ」

 フードのひもをいじりながら、秋葉は思わせぶりにいう。

「十年前の事件なのに、やけに詳しくないですか」

「風間さんに、調べるように頼まれたんですよ」

「風間さんが?」

「ネクロマンサーの正体を暴くために、あらゆるロボット犯罪のデータを収集するように指示されまして。治さんの事件もそのひとつですよ」

「教えてもらえないですか。私、報道された以上のことは知らないんです。警視庁のデータベースに、アクセスする権限がないので」

 ふふ、と秋葉は不快な笑い声をもらした。

「発端は、猟奇的な殺人事件でした。その犯人を追った治さんは、アンドロイドによって殺されることになる――」

 その事件が起きたのは、十年前だった。

 二〇二五年、都内の児童養護施設〈暁の家〉で、殺人事件が発生した。殺害されたのは、施設の職員のひとり。死因は、首を絞められたことによる窒息死だった。

 死体は大きく損傷していた。犯人が、工具を用いて死体を解剖したためだった。肺、心臓、肝臓、胃、腸などのあらゆる内臓と、脳が取り出され、床にばらまかれていた。

 マスコミはのちに、『人体解剖事件』と名づけ、大々的に報道することになる。だが、犯人の名前が公表されることはなかった。犯人が、十五歳の少年だったからだ。

 神崎玲音(かんざきれおん)――それが、少年の名前だった。神崎は、〈暁の家〉の入所者だった。乳児のころ、名前の書かれた手紙だけを添えられ、施設の前に放置されていたそうだ。

 玲音という珍しい名前は、彼の容姿からすれば不思議ではない。金髪で碧眼、肌は透き通るように白かった。白人の血を引いていることは、明らかだった。そのため、玲音=Leonと名づけたのだろう。

 美しい容姿とはかけ離れた、残虐な犯行だった。

 神崎は職員を解剖したのち、施設から逃走した。殺人班九係を中心として、警察は神崎の行方を追った。

 捜査の末、神崎の潜伏場所が特定されると、岸原治は自ら捜索に乗り出した。神崎を発見した岸原治だったが、あえなく返り討ちにされてしまう。街灯の監視カメラが、鮮明な映像を残している。

 神崎は、アンドロイドとともにいた。不法投棄されたアンドロイドを拾い、利用していたのだ。接近する岸原治を尻目に、神崎はアンドロイドに何事かささやいた。すると、アンドロイドは岸原治を襲った。

 ベテランの刑事でも、機械の力には敵わなかった。岸原治は押し倒され、アンドロイドに首を締めつけられた。死因は窒息死だった。

 その隙に、神崎は現場から逃走した。しかし一週間後、神崎は死体となって発見されることとなる。

 全身にガソリンをかけ、自ら点火したようだった。死体の大部分が焼け焦げていたが、かろうじて鑑識は、DNAの採取に成功した。〈暁の家〉に残っていた神崎のDNAと照合すると、同一のものであることが確認された。

 警察は、殺人による罪悪のため、神崎玲音が自死したと断定した。

「アンドロイドが影になっていて、神崎がどんな言葉をかけたのかはわかっていません」

 窓の外を見つめながら、秋葉はいった。

 秋葉が送ってくれた神崎の顔写真が、視界の隅に映っている。猟奇殺人を起こすとは思えないほどの、やさしげな笑みを浮かべている。

「犯行の動機は、なんだったんでしょうか。施設の職員に、問題があったとか」

「調書にはそのような記述はありませんでした。そもそも、神崎の世話係は、アンドロイドでしたからね」

「アンドロイドを、職員に使ってたんですか」

 秋葉はうなずいた。

「別に、めずらしいことではないですけどね。問題は、神崎の世話をしていたアンドロイドを廃棄処分しようとしたことです」

「アンドロイドを廃棄しようとしたから、凶行におよんだと?」

「神崎はそのアンドロイドにしか、心を開いていなかったという話です。精神的なショックは大きかったでしょう」

「でも、解剖までしますかね。やりすぎというか、理由が判然としない」

 秋葉は肩をすくめた。

「事件は闇のなかですよ。犯人は死んじゃったわけですし」岸原に顔をむけ、微笑みかける。「どうです、すこしは参考になりましたか?」

「ええ」岸原は、秋葉に目をやった。「でも、どうやって調べたんですか。秋葉さんにも、当時の捜査資料にアクセスする権限はないでしょう」

「ハッキングっすよ。当然じゃないですか」

「ハッキング? 警察のデータベースにですか」

「内部の人間ですし、あんなの楽勝ですよ」

「違法行為でしょう」

「目には目を。違法行為には違法行為を。風間さんの言葉です」

「腐敗した警察ですね……」

 岸原はあきれていうと、ブレーキペダルに足をかけた。目的地の駐車場に着いたのだった。岸原はいった。

「盗難されたブルーのセダンを発見。なかにはだれもいないようですね」


 ホテルの一室には、一組の男女がいた。片方は人間ではなかった。

北村美紀はダブルベッドに、うなだれるように腰かけていた。ハルトは窓から外の様子をうかがっていた。美紀に顔を向けると、ハルトは訊いた。

「落ち着きましたか?」

 美紀はきつく頭を抱えていた両手をほどいた。ハルトはいつもと変わらぬ柔和な笑みで、美紀を見つめていた。自然と美紀も微笑んだ。

「ええ、もう大丈夫よ」

 ハルトは美紀のとなりに座り、肩に手をまわした。美紀はその暖かくも冷たい身体に、身をあずけた。

「じきに警察は、僕たちの居所をつきとめますよ」

「そうかしら。うまく逃げたと思うけど」

「オートドライブで偽装するなんて、よく考えつきましたね」

「昔、そんなシーンを映画で見ただけよ」

 美紀は、ハルトの手に触れた。シリコン製の皮膚は、人と同じようにやわらかかった。

「ねえ、どこに逃げればいいと思う?」

「逃げるといったのは、美紀様のほうですよ」

「ハルトの意見を聞きたいの」

「申し訳ありませんが、どこにもないかと思います。警察の捜査能力はあなどれません」

「警察に捕まれば、あなたは処分されてしまう。私たちが結ばれる場所は、どこにもないのかしら。こんなに愛し合っているのに」

 ハルトの手をにぎり、美紀は訊いた。

「はじめてデートした場所、覚えてる?」

「もちろん。東京スカイツリーです」

 美紀はハルトの手を離し、ベッドから腰をあげた。

「行きましょう。スカイツリーに」

「どうしてですか?」

「東京で一番、天国に近い場所だから」

「天国?」

「そう」美紀は微笑んだ。「きっと天国なら、ふたりは結ばれると思うの。永遠にね」


       4


 美紀がエントランスに向かうと、一組の男女が受付で抗議していた。背の高い女性と、眼鏡をかけた長髪の男だった。携帯を掲げて、女性はいった。

「この写真の女性、ホテルに泊まっていませんか」

 受付のアンドロイドは、冷たく答えた。

「お客様のプライバシーに関することは、お答えしかねます」

「だから、警察だっていってるでしょう」

 美紀は走り出した。ハルトも美紀のうしろに続いた。駐車場から近いホテルを選んだのは安易だった。警察が、嗅ぎつけてきたのだ。

 女性が高い声をあげた。冷や汗が、どっと噴き出るのを感じた。ホテルの入口を抜け、車のもとに急ぐ。

 大丈夫、ハルトがついていてくれる――そう、自分にいい聞かせながら。


 ふたりを追いながら、秋葉は叫んだ。

「だから、車を張ったほうがいいっていったのに」

「いまさらそんなこといったって、しょうがないでしょう」

 岸原は叫び返した。ホテルから出ると、ふたりはすでに車に乗り込んだところだった。車が急発進し、こちらに向かってくる。

 岸原は秋葉の腕をつかみ、道路脇に飛び退いた。

 風を切る音とともに、車が走り去った。

 岸原は、停車していた覆面パトカーに駆け入り、ドアを勢いよく閉めた。遅れて秋葉が、助手席に乗り込む。

「飛ばしますよ」と岸原はいった。

 秋葉はフードをかぶり、ぎゅっと目をつむった。

「だから外は嫌なんですよ」

 アクセルを踏み、赤色灯を明滅させた。岸原は、小刻みに震える秋葉にかまわず、北村の追跡を開始した。


 環七通りを走り、隅田川を越えたところで、秋葉から連絡が入った。

「犯人を確認しましたが、盗難車で逃走。現在、追跡中です」

 車載ディスプレイのなかでは、ふたつの点が道路上を移動していた。点と点との距離が、しだいに縮まってゆく。岸原の車が、犯人に追いつきつつあるのだ。

 風間はディスプレイから目を離すと、ハンドルを左に切った。

 急カーブで、車体が揺れた。手元がぶれ、向井は煙草に火をつけそこねた。

「おい、いきなりどうした」

「犯人は東進してる。並行して進んで、先回りするぜ」

 向井は煙草に火をつけなおし、煙を吐き出した。

「おまえみたいな常識外れといると、命がいくつあっても足りやしない」

「子供の前で煙草吸うのも、常識外れなんじゃねえの」

「おまえは十分、大人だろ」

 向井はディスプレイを見た。岸原は盗難車に、つかず離れずといった様子だった。車載マイクで声をかけて、止まる相手ではない。応援が到着しなければ、確保は難しいだろう。

 風間のいう通り、北村は東に進み続けた。車をガンガン追い抜き、風間は先行する。

 そして、ハンドルを右にぐるりと回した。

 このままのスピードで直進すれば、交差点で盗難車と接触する。

「風間、またぶつける気なのか」

 向井はため息をつくように、煙を噴いた。

「そうだけど」と風間。

「知ってると思うが、俺には妻子がいるんだぜ」

「ああ、知ってる」

「帰りを待ってる家族がいるんだ」

「だろうな」

「息子はまだ五歳で、俺は小学校にあがるのを、楽しみにしてる」

「そりゃ、楽しそうだな」

「こんなところで死んじまったら――」

「あのさ、生命保険入ってる?」

「入ってる」

「じゃあ、保険金がおりる。金の心配はいらねえな」

「クソが」

 向井は吐き捨て、灰皿に煙草を押しつけた。風間はいった。

「突っ込むぜ。祈るなら、いまのうちだ」


 無線機で応援を要請したが、猛スピードで走る盗難車に、回り込めるパトカーはなかった。岸原は、北村を追い続けるしかなかった。

 フロントガラスの向こうに、北村が乗る車はあった。手が届くようで、届かない。岸原は、唇をかんだ。

 そのとき、車載ディスプレイをながめていた秋葉が、悲鳴をあげた。

「風間さんの車が。ブレーキを!」

 交差点にさしかかったところで、左手から車が来ていることに気づいた。

 盗難車をかすめた車体が、目前に迫った。

 ブレーキペダルを踏み込み、ハンドルを切った。

 タイヤを横滑りさせ、岸原の車は急停車した。

 岸原は、目をしばたかせた。なんとか、衝突は回避したようだった。

 息をついている暇はなかった。風間が窓ガラスをたたき、何事かわめいている。岸原は窓を下ろした。

「てめえ、なにやってくれてんだよ!」

 風間の後方には、ガードレールにぶつかり、煙をあげている車があった。その車から、向井が降りてきた。路上にも関わらず、煙草を口にくわえる。その表情はひどく険しかった。

 風間は、痙攣するように震えている秋葉を引きずり降ろした。

「風間さん、なにやってるんですか」

 眉をしかめ、岸原は訊いた。風間は助手席に座った。

「向井がブレーキ踏まなきゃ、うまく当たったんだよ」

「もしかして、本気でぶつけようとしたんですか」

 風間はこくりとうなずいた。

「バカじゃないの……」

「うるせえ」と風間は子供のように否定する。「追跡再開だ。はやく車出せ」

「無茶苦茶だな」

 岸原はつぶやき、車を発進させた。風間は窓を開け、向井に叫んだ。

「壊れた車、よろしくな」

 バックミラーには、中指を立てた向井の姿が映っていた。


       5


 盗難車は、ドアが開けられたまま乗り捨てられていた。風間の車と接触しそうになったことが原因で、追跡は遅れた。ふたりの姿は確認できていない。

 岸原は盗難車から目を離し、空を仰いだ。天を突き刺すように、白き鉄塔がそびえ立っっている。高さ六三四メートルの巨塔、東京スカイツリーだった。

 開業して数年は高い人気を誇ったそうだが、二十数年がたった現在、東京スカイツリーはさびれた観光スポットにすぎなかった。二〇二〇年に、世界一高い自立式電波塔という称号が、中国に奪われたのが主な原因らしい。

 そのスカイツリーの入口から、人々がなだれ出てきた。悲鳴をあげ、我先にと他者を押しのけている。突き飛ばされ、足をくじいてしまった女性に、岸原は手を貸した。

「なにが起きたんですか」

「女の人と、銃を持った男が突然来て、天井に発砲したんです」

 女性は、息もたえだえに話した。岸原は人波をかきわけ、入口に向かった。風間は身体が小さいためか、すいすいと群衆を抜けてゆく。

スカイツリー一階に入ると、風間はすでにスタッフをつかまえ、話を聞いていた。

「北村たちがスタッフを脅迫。エレベーターで、スカイツリー最上階に向かったそうだ」

 岸原はうなずき、いった。

「私たちも行きましょう。最上階に」


 エレベーターが開くと、東京がはるか下方に見えた。ガラス張りの回廊から、東京を一望できるのだった。しかし今は、観光気分にひたっている場合ではない。

 天望回廊と呼ばれるチューブ型の回廊を走り、地上四五〇メートルの最上階に急いだ。フロアに到着すると、強風が岸原を襲った。髪がなびき、視界を妨げる。岸原はたまらず、手をかざした。

 そんな強風をものともせず、風間は歩み、青い拳銃を構えた。

「だいぶ遊んでくれたじゃん。でも、そろそろ終わりにしようぜ」

 銃口の先には、美紀とハルトの姿があった。背後の天望ガラスは大破し、そこから風が吹き込んできている。

 ハルトは美紀の肩を抱き、無表情でこちらを見つめた。片手に持ったリボルバーを、ゆっくりと持ちあげる。

「僕たちの邪魔をしないでください」

 ハルトの顔に、識別結果が表示された――〈ROBOT〉。

「心中する気ですか」

 岸原は美紀に訊いた。美紀は、いきなり現れた少年刑事に気をとられていたようだが、岸原に顔を向けた。その顔には、〈HUMAN〉と表示された。

「そうです。この人と、永遠に結ばれるために」

「そいつは人じゃない。アンドロイドだ」

 すかさず、風間は訂正した。美紀は首を横に振った。

「いいえ、人と同じよ。ハルトには心があるもの」

「そりゃあんたの思い込みさ。長年アンドロイドと暮らしてると、そんな勘違いをおかすようになる」

「ちがうわ」美紀は声を荒げた。「彼は他のアンドロイドなんかとはちがう。特別なのよ」

 風間は鼻で笑った。「その根拠は?」

「彼は、五年前からスタンドアローンなのよ。私の意志でね」

 スタンドアローンとは、インターネット非接続の状態を指す。ロボットは、システム更新や情報の検索のため、ネットに接続するのが基本だ。ロボットの行動に制約が生まれるスタンドアローンに、あえてする理由がどこにあるのか。

「質問に対する答えになっていないが?」

「いいえ、あなたが理解できていないだけ。ネットから更新データが届き、ソフトウェアが上書きされることのないハルトは、バグの修正が行われなかった。そのバグとみなしているものこそが、心を発生させる重要なデータだったのよ」

「そのバグとは、どんなバグを指してるんですか」岸原は訊いた。

「偏りよ」と美紀はいった。「アンドロイドは、複数の人間と接触することを想定して、ある特定の人物への評価を極端に高めたり、低めたりしないように調整されている。偏りを平均化しているというわけ。でも、それはバグなんかじゃない。だれかを好きになったり、嫌いになったりするのは、人間なら当然でしょう」

「だからアンドロイドだっつーの」

「ハルトは私に好意をもった。その偏りは修正されることなく、愛へと変わった。反対に、人を憎むこともおぼえた。人を愛し、憎めるハルトに、あなたは心がないっていえる?」

「いえるね」風間は即答した。「愛や憎しみを感じるのは、人間のほうだ。アンドロイドはその実、なにも感じてやしない。心を偽装しているだけだ」

 侮蔑の表情を浮かべ、美紀はいった。

「あなたは愛を知らないのね。愛し合えば、相手の気持ちもわかるものよ」

「あんたまさか、アンドロイドと――」

 岸原は、一歩前に踏み出した。風にあおられるのもかまわず、美紀を正面から見つめた。

「あなたがハルトを愛しているのは、よくわかりました。ですが、あなたは実の父親を愛していなかったのですか」

 美紀はびくっと身体を震わせた。歯切れ悪く、美紀は答えた。

「愛していたわ。でも、父はハルトとの交際を否定していたから……」

「犯行時、あなたはハルトに、耳もとでなにかささやきましたね。なんといったんですか?」

「『私を守って』。ただ、それだけよ」

「嘘をつけ!」風間が怒鳴った。「そんな命令で、人を殺せるわけがない」

「美紀様の証言は真実ですよ。あれは僕の誤作動だったんです」

 沈鬱とした表情をつくって、ハルトはいった。

「誠一様から銃を奪った時点で、美紀様への危険は排除されたはずでした。それでも、僕は撃った。誤作動にちがいありません」

「交際を否定していた北村誠一に、あなたは恨みを抱いていましたか」

 岸原は訊いた。風間は肩をすくめ、ため息をついた。

「僕はアンドロイドです。感情はありません」

 ハルトはきっぱりと否定した。心があると主張しているのは、美紀のほうのみなのか。

「では、なぜあなたは北村誠一を撃ったのですか」

「わかりません。誠一様に銃を向けたとき、僕は反射的に引金をひきました」

「反射的に……?」

 困惑する岸原を見て、美紀が小さく笑った。

「極めて人間的な感情が、ハルトに人を撃たせたのよ」岸原と風間の顔をうかがうと、美紀は得意そうにいった。「衝動よ」

「北村誠一への恨みから、衝動的に撃ったと……」

「ハルトはまだ、自分の感情を理解できていないのよ。でも、私はハルトに心があると確信してる。だれも認めなくても、私はもうかまわないわ」

 美紀は、満面の笑みを浮かべた。

「だって、天国はすぐそこだもの」

 ハルトの手を引き、美紀はホールから身を投げた。

 風間は床を蹴った。美紀とハルトを追って、窓の外に飛び出した。

 三人の姿が、下方に消えた。

 あまりに大胆な風間の行動に、岸原は絶句した。明らかに自殺行為だ。ホールの縁まで走り、下をのぞいた。思わず、風間の名を叫ぶ。

「ギリギリセーフ!」

 威勢のいい子供の声が、返ってきた。

 風間は左腕で、美紀を抱きかかえていた。右腕は上に伸ばされている。そでがまくられ、腕に仕込まれた機構が、よく見えた。

 前腕の手の平側が跳ねあがり、腕内部に隠されていた装置が露出している。どうやら射出装置のようで、射出口からはワイヤーが伸びていた。ワイヤーは、岸原の足下、スカイツリーの鉄骨にまで達していた。先端についているアンカーが、かろうじて鉄骨にひっかかっている。

 サイボーグならではの、ギミックだった。

 そんなギミックがあるなら、事前に教えてくれればいいものを。

 岸原は不満に思ったが、悠長に喧嘩している場合ではなかった。危機的な状況には変わりない。たった一本のワイヤーで、約四四〇メートルの高さに吊るされているのだ。

しかも美紀は、ハルトの手をにぎったままだった。

「あきらめろ。重さでワイヤーが巻き取れねえ」

 風間の声に、美紀は耳を傾けなかった。不安定な姿勢のまま、もう片方の手を伸ばす。

「ハルト、つかまって!」

 そのとき、岸原はハルトが微笑むのを見た。

「やはり僕は欠陥品のようです。主人の命令に逆らうなんて」

 ハルトは手を離した。吸い込まれるように、地上へ落ちてゆく。美紀がいくら泣きわめいても、落下を止めることはできなかった。

 その姿が小さくなり、やがて見えなくなっても、美紀は叫び続けた。

 自分が愛したアンドロイドの名前を。


       6


「結局、ハルトには心があったんでしょうか」

 ロボット犯罪捜査班のオフィスにもどると、岸原はつぶやいた。となりに座る風間は、「そんなわけねえだろ」と一蹴した。

「ハルトは最後、美紀さんの命を救うために、命令に背いて自ら手を離したんですよ」

「いや、だからさ。命令よりも人間を守るほうを優先するんだよ、ロボットは。当然の行動なわけ」

「じゃあ、人間を撃ったことをどう説明するんです?」

「その守ろうとする機能が故障して、暴走したんじゃねえの。過剰に防衛しようとして、殺人に至った。これで説明がつくだろ」

 風間は吐き捨てるようにいって、顔をそむけた。前の席の秋葉がいった。

「ハルトは大破してしまって、解析不可能です。本当のところはわかりませんが、風間さんの説で決まりでしょうね。故障による機能不全で、ロボットが人間を攻撃するという例は、これまでにもありましたから」

 岸原は不満そうに、首をかしげた。その様子を見かねたのか、向井がいった。

「気にしないほうがいい。でなければ、この仕事はできない」

 向井は多くのアンドロイドと、対峙してきたのだろう。その言葉には、経験からの重みが感じられた。

 秋葉はモニターの上から顔を出し、岸原に訊いた。

「そういえば、北村美紀は犯行時、ハルトになんといったんですか」

「『私を守って』、そう一言だけいったそうです」

 秋葉は眉をしかめ、椅子に座り直した。

「案外、神崎もそんなことをいったのかもしれませんね。人を守ろうとする機能をつかって、人を殺す。神崎は意図的に、過剰防衛を起こさせたのかもしれない」

 秋葉が口を閉ざすと、風間は席を立った。その背中に、岸原はいった。

「腕からワイヤーが出るとか、そんなギミックあるんなら、最初からいっといてくださいね」

 風間は振り返り、にやりと笑った。

「敵をだますには、まずは味方から、だろ?」

 閉まったドアに、岸原はいった。

「いや、だますメリットがないでしょう」

 そのとき、ドアが開く音がした。戸口には安藤が、きょとんとした顔で立っていた。

「おまえたち、まだいたのか? もう夜の八時だぞ」

「さすが風間さん、絶妙なタイミングで逃げるな」と秋葉。

「うわー、だから部屋を出たのか」と岸原。

「きっと、あのまま帰ったな」と向井。

 状況が飲み込めない安藤に、報告をしたのは岸原だった。安藤はいった。

「あいつ、また車つぶしたのか?」


 本庁地下一階に駐めていたバイクに、風間はまたがった。愛車にはむろん、傷ひとつついていない。

 アクセルを回し、庁舎から飛び出る。

 風間は疾走した――人間とロボットがひしめく街を。

 その小さな姿を、青くライトアップされた東京スカイツリーが、静かに見下ろしていた。

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