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【短編小説】猫が死んだ世界(4/4)

       4


 屋上への扉には、南京錠がかかっていた。

 須藤は自前のペンチでそれをねじ切った。準備のいいやつだ。

 鍵を放り投げると、扉をいきおいよく開けた。

 強風が吹き込んできた。

 僕は顔を覆いながら、須藤に続いた。

 開放感。憎たらしいぐらいに青い空。

 太陽に近いからか、屋上はとても暑かった。

 太陽光と照り返しの光とに挟まれた僕らを、風が仲裁する。

 しかし、風は喧嘩を止めるだけの力をもっていなかった。

 須藤はフェンスをよじのぼっていた。

「危ないぞ」

「落ちやしないさ。宮原君も来なよ。なかなかのスリルだぜ」

 須藤は校舎の縁に着地していた。

 僕を呼ぶと、縁に腰掛けた。

 空中に足を投げ出している形だ。

 僕がフェンスを越えている最中に、煙草に火をつけていた。

「どうだ、いい景色だろ」と須藤。

 視界には、ミニチュアになった街が広がっていた。

 様々な色をした屋根をかぶった、個性のない木造家屋が並んでいた。

 左手には大きな水田が見える。

 のどかな風景を突き刺すように、駅前のビルが建っていた。

 先ほど、〈鼠〉に襲われていたところだ。

「まあ、座れよ」

「ここは座るための場所じゃないんだよ」と言いながら縁に座った。

 下を見ると頭がくらっとした。

 足先だけ見ると、空中に座っているようだった。

 目を引き剥がし、街並みを眺めるように努めた。

「全くよく創ったもんだよ」須藤は紫煙を吐きながら言った。眼下に広がる街について言っているのだ。

「多くの人が多くの努力をして創ったんだろう」と僕は応えた。「しかし、君が何かを賞賛するとは珍しいね」

「いや、賞賛じゃないよ。皮肉さ。僕はその反対に近い人間だからね」

 須藤は煙草を投げ捨てた。駐輪場に落ちていった。

「反対? どういうことだい」

「壊すほうが好きってこと」

「窓ガラスを割ったり?」

「そういうことだね」須藤は笑った。そして、新しい煙草を取り出した。「だけど、こういった感覚はみんなもっていると思うんだ」ライターの火が強風で揺らぐ。「例えば、巨大なビルができあがったら人は感動を覚える。逆にダイナマイトでビルをぶち壊すときも、人は感動を覚える。人は二つの極の間にいる。どちらかに寄ってはいるが」

 僕は思考を巡らした。

 矛盾した二つの感情。創造と破壊。

 確かに、人はどちらにもカタルシスを感じるだろう。

「その通りかもしれない。だが、どうして両方の感覚をもっているんだろう」

「必然性さ。創り続けたら、ものでいっぱいになってしまう。だから壊す必要がある」

「おもしろい考えだね」僕は素直に感心した。「でも、どうしたんだよ。急に哲学にでも興味をもったのかい」

「あるいは」須藤はため息をつくように煙を吐いた。「〈鼠〉がきっかけさ。奴らは俺に似ていると思ってね」

 僕は目を見開いた。

「壊して、壊して、壊し尽す。あれは俺の理想なのさ。破壊衝動。その点において、俺は〈鼠〉と似ている」

「しかし……」僕は言い淀んだ。「しかし、さっきの君の理屈によると、人間がみな破壊の要素をもっているとするなら……」

 言葉がうまく出て来なかった。

 畏怖が心を支配していた。

 須藤が先を引き継いでくれた。

「全ての人は〈鼠〉と共通している。破壊という点において」

 強い風が髪を煽った。

「僕らはどこかで、破壊を望んでいるんだ」

 〈鼠〉――訳のわからない生命体。

 しかし、これで説明をつけることができるんじゃないか。

 奇妙な理論ではあるが。

「もしかして〈鼠〉は、人間の破壊衝動の投影なのかもしれないな」と須藤が言った。「俺らの願望の反映なのかもしれない」

 僕は須藤を凝視していた。

「〈鼠〉は僕らが呼んでしまったというのか」

「より苦労して創ったもののほうが壊しがいがある。もしくは、自分の憎んでいるものを壊そうと思うだろう」

 僕の頭の中に様々な事象が蘇った。

 オセロが反転するように。

 駅、新設されたビル、校舎、本、教室。

 僕は口を開く。

「だから〈鼠〉は死なないんだ。僕らが死んでいないから」

 その時、地響きが聞こえた。

 臓器が少しずつ押し下げられているような感覚を覚えた。

 雷雲が唸る声だと思ったが、違った。

 音源の方向にはビルがそびえたっていた。

 駅前のビル。〈鼠〉が群がっていたビル。

 それが、ゆっくりと傾いでいた。

 〈鼠〉の攻撃に耐えられなくなったのだ。

 ビルが倒壊してゆく。

 電線にとまったカラスが舞う。

 〈鼠〉がビルの中からこぼれでてくる。

 黒胡椒を振り掛けるように。

 塵芥を撒きながら、巨大な直方体が傾いでゆく。

 地面と軸とのなす角度が狭まる。

 押しやられた空気が僕に向かってくるかのように、心が振動する。

 そして、灰色の巨体は地に伏した。

 轟音。

 余韻。

 静寂。


       ■


 僕は脈動する心臓を押さえる。

 僕は感動している。破壊という行為に。倫理には目もくれず。

 創造と破壊。

 僕らは破壊のベクトルに向かってしまったのか。

 世界という巨大な部屋は創造物でいっぱいになってしまった。

 だから壊す。壊して消す。

 それがいつまで続くかはわからない。

 ここは猫が死んだ世界なのだから。

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