【短編小説】猫が死んだ世界(4/4)
- 弑谷 和哉
- 8月15日
- 読了時間: 4分
4
屋上への扉には、南京錠がかかっていた。
須藤は自前のペンチでそれをねじ切った。準備のいいやつだ。
鍵を放り投げると、扉をいきおいよく開けた。
強風が吹き込んできた。
僕は顔を覆いながら、須藤に続いた。
開放感。憎たらしいぐらいに青い空。
太陽に近いからか、屋上はとても暑かった。
太陽光と照り返しの光とに挟まれた僕らを、風が仲裁する。
しかし、風は喧嘩を止めるだけの力をもっていなかった。
須藤はフェンスをよじのぼっていた。
「危ないぞ」
「落ちやしないさ。宮原君も来なよ。なかなかのスリルだぜ」
須藤は校舎の縁に着地していた。
僕を呼ぶと、縁に腰掛けた。
空中に足を投げ出している形だ。
僕がフェンスを越えている最中に、煙草に火をつけていた。
「どうだ、いい景色だろ」と須藤。
視界には、ミニチュアになった街が広がっていた。
様々な色をした屋根をかぶった、個性のない木造家屋が並んでいた。
左手には大きな水田が見える。
のどかな風景を突き刺すように、駅前のビルが建っていた。
先ほど、〈鼠〉に襲われていたところだ。
「まあ、座れよ」
「ここは座るための場所じゃないんだよ」と言いながら縁に座った。
下を見ると頭がくらっとした。
足先だけ見ると、空中に座っているようだった。
目を引き剥がし、街並みを眺めるように努めた。
「全くよく創ったもんだよ」須藤は紫煙を吐きながら言った。眼下に広がる街について言っているのだ。
「多くの人が多くの努力をして創ったんだろう」と僕は応えた。「しかし、君が何かを賞賛するとは珍しいね」
「いや、賞賛じゃないよ。皮肉さ。僕はその反対に近い人間だからね」
須藤は煙草を投げ捨てた。駐輪場に落ちていった。
「反対? どういうことだい」
「壊すほうが好きってこと」
「窓ガラスを割ったり?」
「そういうことだね」須藤は笑った。そして、新しい煙草を取り出した。「だけど、こういった感覚はみんなもっていると思うんだ」ライターの火が強風で揺らぐ。「例えば、巨大なビルができあがったら人は感動を覚える。逆にダイナマイトでビルをぶち壊すときも、人は感動を覚える。人は二つの極の間にいる。どちらかに寄ってはいるが」
僕は思考を巡らした。
矛盾した二つの感情。創造と破壊。
確かに、人はどちらにもカタルシスを感じるだろう。
「その通りかもしれない。だが、どうして両方の感覚をもっているんだろう」
「必然性さ。創り続けたら、ものでいっぱいになってしまう。だから壊す必要がある」
「おもしろい考えだね」僕は素直に感心した。「でも、どうしたんだよ。急に哲学にでも興味をもったのかい」
「あるいは」須藤はため息をつくように煙を吐いた。「〈鼠〉がきっかけさ。奴らは俺に似ていると思ってね」
僕は目を見開いた。
「壊して、壊して、壊し尽す。あれは俺の理想なのさ。破壊衝動。その点において、俺は〈鼠〉と似ている」
「しかし……」僕は言い淀んだ。「しかし、さっきの君の理屈によると、人間がみな破壊の要素をもっているとするなら……」
言葉がうまく出て来なかった。
畏怖が心を支配していた。
須藤が先を引き継いでくれた。
「全ての人は〈鼠〉と共通している。破壊という点において」
強い風が髪を煽った。
「僕らはどこかで、破壊を望んでいるんだ」
〈鼠〉――訳のわからない生命体。
しかし、これで説明をつけることができるんじゃないか。
奇妙な理論ではあるが。
「もしかして〈鼠〉は、人間の破壊衝動の投影なのかもしれないな」と須藤が言った。「俺らの願望の反映なのかもしれない」
僕は須藤を凝視していた。
「〈鼠〉は僕らが呼んでしまったというのか」
「より苦労して創ったもののほうが壊しがいがある。もしくは、自分の憎んでいるものを壊そうと思うだろう」
僕の頭の中に様々な事象が蘇った。
オセロが反転するように。
駅、新設されたビル、校舎、本、教室。
僕は口を開く。
「だから〈鼠〉は死なないんだ。僕らが死んでいないから」
その時、地響きが聞こえた。
臓器が少しずつ押し下げられているような感覚を覚えた。
雷雲が唸る声だと思ったが、違った。
音源の方向にはビルがそびえたっていた。
駅前のビル。〈鼠〉が群がっていたビル。
それが、ゆっくりと傾いでいた。
〈鼠〉の攻撃に耐えられなくなったのだ。
ビルが倒壊してゆく。
電線にとまったカラスが舞う。
〈鼠〉がビルの中からこぼれでてくる。
黒胡椒を振り掛けるように。
塵芥を撒きながら、巨大な直方体が傾いでゆく。
地面と軸とのなす角度が狭まる。
押しやられた空気が僕に向かってくるかのように、心が振動する。
そして、灰色の巨体は地に伏した。
轟音。
余韻。
静寂。
■
僕は脈動する心臓を押さえる。
僕は感動している。破壊という行為に。倫理には目もくれず。
創造と破壊。
僕らは破壊のベクトルに向かってしまったのか。
世界という巨大な部屋は創造物でいっぱいになってしまった。
だから壊す。壊して消す。
それがいつまで続くかはわからない。
ここは猫が死んだ世界なのだから。
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