【短編小説】猫が死んだ世界(2/4)
- 弑谷 和哉
- 8月13日
- 読了時間: 5分
2
運よくすぐに電車がやってきた。
電光掲示板によると、その次の電車は三十分後だった。
あまりにも人が乗らないため、運行本数を減らしているようだ。
視界のいたるところに〈鼠〉がいる。乗客が少ないのも無理はない。
僕ら以外、誰もいないホームに電車が到着した。
車両の中にも、人はいなかった。
僕は座席に腰かけたが、須藤はそうしなかった。
ポケットに手をつっこみ、ドアの脇に背を預け、外を眺めている。
ただ無機質な建物が並んでいるだけなのに、何を熱心に見る必要があるのか。僕にはわからなかった。
電車の揺れる単調な音が響いた。
この電車は僕らをどこに運んでゆくのだろう、とふいに不安を覚えた。
もちろん行き先は学校である。
電車はレールという確固たる物質に乗って、決まった道筋を辿る。
たった三つ目の駅だ。
しかし、電車内には奇妙な空気が流れていた。どこかがおかしかった。
空間が少しだけ歪んでいるような感覚、と表現すればいいのだろうか。
僕は何を考えているのだろう。
落ち着かない気持ちを落ち着かせるために、椅子に座りなおした。
そして鞄を開き、ルービックキューブを取り出した。
僕はルービックキューブを、手際よくそろえはじめた。
変わった趣味なのはわかっている。友達に笑われもした。
時代錯誤にもほどがある。
それでも僕は、この立方体のパズルに取り組み続けた。
不安なとき、孤独なとき、悲しいとき、僕はルービックキューブを手に取った。無心に取り組んでいると、気分が落ち着くのである。中学校からの習慣だった。
それ以来、解いては崩すというプロセスを繰り返し続けた。
ルービックキューブの利点は、何度もチャレンジできるところにある。
例えば、ジグソーパズルなどは一度完成したらそこで終わりである。
しかし、ルービックキューブは完成しても、パズルのパターンを組み替えることによって、もう一度遊べる。
さらに、解答に至る道筋も変化する。
ルービックキューブとは、終わらないパズルなのだ。
僕は指を動かし、平面を回転させ、色を揃えることに努める。
いつもは夢中になれたが、今日は違った。
指が止まってしまった。なぜか集中できなかった。
未完成のルービックキューブを、僕は鞄にしまった。
またいつか完成させればいい。
そして、顔を上げた。
須藤は、なおも車窓と対峙していた。
この男と友人になって三ヶ月ほど経つが、いまだに須藤という男は多くの謎に包まれている。
出会ったのは四月。
新学期が始まってからだった。
■
高校二年生になり、クラス替えが行われた。
僕は憂鬱だった。
僕が所属することになったクラスには、知り合いが一人もいなかったのだ。
元来、人見知りである僕は、初日の授業で人にしゃべりかけることができなかった。
周囲ではクラスメイトが楽しそうにしゃべり、これから学校をともにする仲間を形成しはじめていた。
僕は気まずさを感じ、鞄をもって立ち去ろうとした。
そのとき、馴れ馴れしくも肩に手を回してきた人物がいた。須藤だった。
「のどが渇いたから、ジュースでも飲みに行こうぜ」
まるで、何年も親交のある友人が言いそうなセリフだった。
自販機まで行くと、財布を取り出した。きっちり百二十円コインを挿入したところで、誰かの手が自販機のボタンを押した。もちろん須藤の仕業だった。
「ひっかかったな」
自分の意図と反する飲み物を、僕は取り出し口から手に取った。
ホットのコーヒーだった。僕は笑った。
「できれば、冷たい飲み物がよかったね」
「そうか」須藤は硬貨を手早く入れながら言った。「冬が終わったことに今、気づいたよ」
須藤は購入したコーラを僕に投げ渡し、ホットのコーヒーを受け取った。
そして、一気にコーヒーを飲み干してしまった。
「おもしろいやつだな」と僕。
「ああ」と須藤は同意し、缶をゴミ箱に捨てた。
■
電車内とのギャップのせいで、外はさらに暑く感じられた。
湿気を多く含んだ空気が僕を包み込む。
駅から出ると、陽光が容赦なく照りつけてきた。泣きっ面に蜂である。
十分ほど歩くと学校だ。それほど長い道のりではない。
しかし、自分の中にある水分が、理不尽なほど体外に流出する事態は、避けられないだろう。
「見てみろよ」
須藤があごでしゃくったほうを見ると、何やらひと騒動起きていた。
駅前に新しく建設されたマンションに、うじゃうじゃと〈鼠〉がたかっていた。
マンションの二階部分の外壁にまで張り付いている。
視界にいるだけでゆうに五十匹はいる。
砕かれた外壁がパラパラと落ちてきていた。
「大盛況じゃないか。このご時勢に入居者が殺到してる」
「家賃をちゃんと払うかどうか疑問だけどね」
事態は切迫していたにも関わらず、僕らはこんな冗談を言っている。感覚が少し鈍っているらしい。何しろ、集まった〈鼠〉を自衛隊が駆除していたのだ。
テレビやインターネットの映像で見たことはあったが、生で見ると迫力が違った。
自衛隊員の一人が、火炎放射器で壁に張り付く〈鼠〉を焼き払った。
ぼとぼとと落ちてくる〈鼠〉を、他の自衛隊員が銃の柄で叩き潰している。
〈鼠〉は声も出さない。
ただ、形がくずれていった。目や口が消えてゆく。
それは、粘土でつくった人形を叩き潰すのに似ていた。
〈鼠〉が平たい黒いグミのような形になると、自衛隊員はそれを袋に詰めた。
車に積んで、どこかに廃棄するのだ。
〈鼠〉は殺せない。
たとえどんな形に押しつぶされても、引きちぎられても、同じ形に再生する。
これが〈鼠〉が地球外生命体ではないか、と考えられる由縁だった。
よって、〈鼠〉を麻袋に閉じ込め、隔離しておくしか方法はないのだ。
目の前では、自衛隊員が必死で叩いているにも関わらず、〈鼠〉の足が生えてくる。
自衛隊員はそれを踏みつけていた。
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