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【短編小説】猫が死んだ世界(2/4)

       2


 運よくすぐに電車がやってきた。

 電光掲示板によると、その次の電車は三十分後だった。

 あまりにも人が乗らないため、運行本数を減らしているようだ。

 視界のいたるところに〈鼠〉がいる。乗客が少ないのも無理はない。

 僕ら以外、誰もいないホームに電車が到着した。

 車両の中にも、人はいなかった。

 僕は座席に腰かけたが、須藤はそうしなかった。

 ポケットに手をつっこみ、ドアの脇に背を預け、外を眺めている。

 ただ無機質な建物が並んでいるだけなのに、何を熱心に見る必要があるのか。僕にはわからなかった。

 電車の揺れる単調な音が響いた。

 この電車は僕らをどこに運んでゆくのだろう、とふいに不安を覚えた。

 もちろん行き先は学校である。

 電車はレールという確固たる物質に乗って、決まった道筋を辿る。

 たった三つ目の駅だ。

 しかし、電車内には奇妙な空気が流れていた。どこかがおかしかった。

 空間が少しだけ歪んでいるような感覚、と表現すればいいのだろうか。

 僕は何を考えているのだろう。

 落ち着かない気持ちを落ち着かせるために、椅子に座りなおした。

 そして鞄を開き、ルービックキューブを取り出した。

 僕はルービックキューブを、手際よくそろえはじめた。

 変わった趣味なのはわかっている。友達に笑われもした。

 時代錯誤にもほどがある。

 それでも僕は、この立方体のパズルに取り組み続けた。

 不安なとき、孤独なとき、悲しいとき、僕はルービックキューブを手に取った。無心に取り組んでいると、気分が落ち着くのである。中学校からの習慣だった。

 それ以来、解いては崩すというプロセスを繰り返し続けた。

 ルービックキューブの利点は、何度もチャレンジできるところにある。

 例えば、ジグソーパズルなどは一度完成したらそこで終わりである。

 しかし、ルービックキューブは完成しても、パズルのパターンを組み替えることによって、もう一度遊べる。

 さらに、解答に至る道筋も変化する。

 ルービックキューブとは、終わらないパズルなのだ。

 僕は指を動かし、平面を回転させ、色を揃えることに努める。

 いつもは夢中になれたが、今日は違った。

 指が止まってしまった。なぜか集中できなかった。

 未完成のルービックキューブを、僕は鞄にしまった。

 またいつか完成させればいい。

 そして、顔を上げた。

 須藤は、なおも車窓と対峙していた。

 この男と友人になって三ヶ月ほど経つが、いまだに須藤という男は多くの謎に包まれている。

 出会ったのは四月。

 新学期が始まってからだった。


       ■


 高校二年生になり、クラス替えが行われた。

 僕は憂鬱だった。

 僕が所属することになったクラスには、知り合いが一人もいなかったのだ。

 元来、人見知りである僕は、初日の授業で人にしゃべりかけることができなかった。

 周囲ではクラスメイトが楽しそうにしゃべり、これから学校をともにする仲間を形成しはじめていた。

 僕は気まずさを感じ、鞄をもって立ち去ろうとした。

 そのとき、馴れ馴れしくも肩に手を回してきた人物がいた。須藤だった。

「のどが渇いたから、ジュースでも飲みに行こうぜ」

 まるで、何年も親交のある友人が言いそうなセリフだった。

 自販機まで行くと、財布を取り出した。きっちり百二十円コインを挿入したところで、誰かの手が自販機のボタンを押した。もちろん須藤の仕業だった。

「ひっかかったな」

 自分の意図と反する飲み物を、僕は取り出し口から手に取った。

 ホットのコーヒーだった。僕は笑った。

「できれば、冷たい飲み物がよかったね」

「そうか」須藤は硬貨を手早く入れながら言った。「冬が終わったことに今、気づいたよ」

 須藤は購入したコーラを僕に投げ渡し、ホットのコーヒーを受け取った。

 そして、一気にコーヒーを飲み干してしまった。

「おもしろいやつだな」と僕。

「ああ」と須藤は同意し、缶をゴミ箱に捨てた。


       ■


 電車内とのギャップのせいで、外はさらに暑く感じられた。

 湿気を多く含んだ空気が僕を包み込む。

 駅から出ると、陽光が容赦なく照りつけてきた。泣きっ面に蜂である。

 十分ほど歩くと学校だ。それほど長い道のりではない。

 しかし、自分の中にある水分が、理不尽なほど体外に流出する事態は、避けられないだろう。

「見てみろよ」

 須藤があごでしゃくったほうを見ると、何やらひと騒動起きていた。

 駅前に新しく建設されたマンションに、うじゃうじゃと〈鼠〉がたかっていた。

 マンションの二階部分の外壁にまで張り付いている。

 視界にいるだけでゆうに五十匹はいる。

 砕かれた外壁がパラパラと落ちてきていた。

「大盛況じゃないか。このご時勢に入居者が殺到してる」

「家賃をちゃんと払うかどうか疑問だけどね」

 事態は切迫していたにも関わらず、僕らはこんな冗談を言っている。感覚が少し鈍っているらしい。何しろ、集まった〈鼠〉を自衛隊が駆除していたのだ。

 テレビやインターネットの映像で見たことはあったが、生で見ると迫力が違った。

 自衛隊員の一人が、火炎放射器で壁に張り付く〈鼠〉を焼き払った。

 ぼとぼとと落ちてくる〈鼠〉を、他の自衛隊員が銃の柄で叩き潰している。

 〈鼠〉は声も出さない。

 ただ、形がくずれていった。目や口が消えてゆく。

 それは、粘土でつくった人形を叩き潰すのに似ていた。

 〈鼠〉が平たい黒いグミのような形になると、自衛隊員はそれを袋に詰めた。

 車に積んで、どこかに廃棄するのだ。

 〈鼠〉は殺せない。

 たとえどんな形に押しつぶされても、引きちぎられても、同じ形に再生する。

 これが〈鼠〉が地球外生命体ではないか、と考えられる由縁だった。

 よって、〈鼠〉を麻袋に閉じ込め、隔離しておくしか方法はないのだ。

 目の前では、自衛隊員が必死で叩いているにも関わらず、〈鼠〉の足が生えてくる。

 自衛隊員はそれを踏みつけていた。

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