【短編小説】猫が死んだ世界(3/4)
- 弑谷 和哉
- 8月14日
- 読了時間: 5分
3
校門が閉まっていたので、僕らはその鉄柵をよじのぼり、学校に入った。
白昼堂々の犯行だったが、誰も見るものはいなかった。
古めかしく雄大な校舎――何でも百年以上の歴史があるらしい。
無論、壁面には〈鼠〉が張り付いていた。
校庭では生徒が駆けている代わりに、〈鼠〉が駆けていた。
僕は問いかけた。
「これからどうする?」
須藤は右手にある図書館に顔を向けていた。
「ちょっと寄ってみよう」
僕の通っている学校には、図書室ではなく図書館があった。
多くの学校が校舎の中に図書室を設けているが、ここの場合別に棟を設けている。
何だかうらやましいような環境だがそうでもない。
なぜなら、学生はあまり本に関心を寄せないからだ。
蔵書は豊富だった。
一階部分全てに本が置いてある。市の図書館並の蔵書量だろう。
ただ、ライトノベルの品揃えが豊富なのは少々気にはなっていた。
しかし、そんな疑問もふっとんでしまうほど、図書館は〈鼠〉に荒らされていた。
破れたページが床に散乱していた。
そのページも穴あきチーズよろしくボロボロだった。
本の残りを喰っている〈鼠〉もいたが、多くは棚や柱や階段などにかじりついていた。
「〈鼠〉は本が大好物らしい」と須藤はつぶやいた。
「そうだな。でもなぜだろう」
落ちているページの断片を、須藤は手にとった。
「喰ってみろよ。わかるかもしれない」
「喰ってもきっとわからないよ」
須藤はおもむろに紙片を口に入れた。
この行動にはさすがに僕も驚いた。
くちゃくちゃと口のなかで味わい、飲み込んでしまった。
「味はどうだい?」
「すこぶるまずいね」
■
本館である校舎に向かう最中、須藤は校庭に転がっている石をいくつか拾った。
その意味は、校舎の手前で判明した。
須藤は石を校舎の窓に投げつけた。
「おいやめろ」と制する僕を無視し、須藤は五つの石を放った。うち三つが命中した。
「ビンゴだ」と須藤。
四階建ての校舎の四、三、二階の窓が割れていた。それらの窓は縦に並んでいた。窓ガラスの集合をビンゴカードに例えるなら、まさしくビンゴだった。
いや――
「一階が割れてないよ」
言い終わらないうちに須藤は投石した。
玄関の扉の窓がきれいに砕けた。
ビンゴ。
「賞品くれよ」と須藤。
「ダブルビンゴでもらえるのさ」と僕は返した。
■
おかげで校舎の中に入れた。
割れた窓から手を入れ、鍵を開けて堂々玄関から進入したのだった。
〈鼠〉に喰われて穴の開いた上履きを履いて、教室に向かった。
学校の中は殺人的な状況だった。
窓が閉められていたため、熱がこもってしまったのだ。
汗をハンドタオルで拭った。
しかし、汗は壊れた水道のように止まるところを知らなかった。
須藤の背中にも、じっとりと汗が染みこんでいる。
「嘘みたいな暑さだ」と僕。
「嘘だったらよかったのにな」と須藤。
二年一組は、以前の面影を残していなかった。
声をあげる生徒の代わりに、五匹の〈鼠〉がいた。
〈鼠〉たちは、机や椅子にかじりついていた。
僕らが入っても見向きもしない。
カーテンが閉じられた薄暗い教室に、黒い物体が蠢く様は異様だった。
「クラスメイトが来たのに挨拶もなしかい?」
須藤は〈鼠〉に問いかけた。
無論、答えはないし、応えもない。
僕はカーテンを開け、窓を開けた。
熱風がおだやかに歩み、光は迅速に部屋を照らした。
蜂の巣と見紛うほど、穴だらけの教室が露呈した。
僕は目を閉じたり、細めたり、左右に動かしたりして、その様子を観察した。
そうしているうちに、僕の心に意外な感情が芽生えた。怒りだった。
何もかも壊されてしまった。
何もかも失くしてしまった。
なぜこんな目に――。
僕は〈鼠〉に歩み寄った。
「殴るのか?」
僕は〈鼠〉の体をつかんだ。
やわらかかった。
だぶ肉のような感触で、片手で持ち上げることができた。
重いバッグを持ち上げたようだった。
〈鼠〉は足をばたつかせている。
須藤は笑った。「無駄だよ」
「わかってるさ。だけど、こいつが悪いんだ。僕らの生活をぶち壊した」
僕は〈鼠〉を壁にたたきつけようとした。
体をひねり、腕に力をこめた。
しかし汗で濡れた手から、〈鼠〉がすべり落ちてしまった。
魚のようなぬるりとした感触だった。
落ちた〈鼠〉は、教室の隅のほうに逃げ、今度はロッカーを喰いはじめた。
「これでよかったんだ。どうにもならないんだから」
〈鼠〉が世界を喰らう音が、教室に流れ続けた。
■
階段を上るごとに、気温も上昇した。
汗が大量に出る。
文字通りの意味で濡れ衣を着せられた僕らは、左右の足を動かすという単調な動作を繰り返す。
熱中症になる危険性が十分に考えられたが、前を進む須藤についていった。
須藤はポケットに手を入れたまま、平然と階段を上っていた。
屋上に行こうと、須藤が提案したのだった。
ぽたぽたと落ちる汗を眺める。
ヘンゼルとグレーテルのパンくずのようだった。
いや、たとえが悪い。それでは帰れなくなってしまうではないか。
頭がくらくらする。
その頭の中では思考が空転していた。
自分の教室以外にも、様々な部屋を見てまわった。
どこも同じような状況だった。
〈鼠〉、そして多数の穴、残骸。
気を滅入らせるには十分だったが、発見はあまりなかった。
ただ、美術室に飾られた絵画が印象的だった。
この学校の窓から見える風景画らしい。
〝らしい〟というのは、絵が〈鼠〉に喰われてぼろぼろだったからだ。
このように僕らの街が腐敗してゆくかと思うと、虚しくてしかたがなかった。
上に行くにつれて、どんどん暑くなっていった。
僕は思考を停止する。
ただ、階段を上ることに努めた。
生死を彷徨いながら歩き、やがて静止した。
最上階だった。
コメント