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【短編小説】猫が死んだ世界(3/4)

       3


 校門が閉まっていたので、僕らはその鉄柵をよじのぼり、学校に入った。

 白昼堂々の犯行だったが、誰も見るものはいなかった。

 古めかしく雄大な校舎――何でも百年以上の歴史があるらしい。

 無論、壁面には〈鼠〉が張り付いていた。

 校庭では生徒が駆けている代わりに、〈鼠〉が駆けていた。

 僕は問いかけた。

「これからどうする?」

 須藤は右手にある図書館に顔を向けていた。

「ちょっと寄ってみよう」

 僕の通っている学校には、図書室ではなく図書館があった。

 多くの学校が校舎の中に図書室を設けているが、ここの場合別に棟を設けている。

 何だかうらやましいような環境だがそうでもない。

 なぜなら、学生はあまり本に関心を寄せないからだ。

 蔵書は豊富だった。

 一階部分全てに本が置いてある。市の図書館並の蔵書量だろう。

 ただ、ライトノベルの品揃えが豊富なのは少々気にはなっていた。

 しかし、そんな疑問もふっとんでしまうほど、図書館は〈鼠〉に荒らされていた。

 破れたページが床に散乱していた。

 そのページも穴あきチーズよろしくボロボロだった。

 本の残りを喰っている〈鼠〉もいたが、多くは棚や柱や階段などにかじりついていた。

「〈鼠〉は本が大好物らしい」と須藤はつぶやいた。

「そうだな。でもなぜだろう」

 落ちているページの断片を、須藤は手にとった。

「喰ってみろよ。わかるかもしれない」

「喰ってもきっとわからないよ」

 須藤はおもむろに紙片を口に入れた。

 この行動にはさすがに僕も驚いた。

 くちゃくちゃと口のなかで味わい、飲み込んでしまった。

「味はどうだい?」

「すこぶるまずいね」


       ■


 本館である校舎に向かう最中、須藤は校庭に転がっている石をいくつか拾った。

 その意味は、校舎の手前で判明した。

 須藤は石を校舎の窓に投げつけた。

「おいやめろ」と制する僕を無視し、須藤は五つの石を放った。うち三つが命中した。

「ビンゴだ」と須藤。

 四階建ての校舎の四、三、二階の窓が割れていた。それらの窓は縦に並んでいた。窓ガラスの集合をビンゴカードに例えるなら、まさしくビンゴだった。

 いや――

「一階が割れてないよ」

 言い終わらないうちに須藤は投石した。

 玄関の扉の窓がきれいに砕けた。

 ビンゴ。

「賞品くれよ」と須藤。

「ダブルビンゴでもらえるのさ」と僕は返した。


       ■


 おかげで校舎の中に入れた。

 割れた窓から手を入れ、鍵を開けて堂々玄関から進入したのだった。

 〈鼠〉に喰われて穴の開いた上履きを履いて、教室に向かった。

 学校の中は殺人的な状況だった。

 窓が閉められていたため、熱がこもってしまったのだ。

 汗をハンドタオルで拭った。

 しかし、汗は壊れた水道のように止まるところを知らなかった。

 須藤の背中にも、じっとりと汗が染みこんでいる。

「嘘みたいな暑さだ」と僕。

「嘘だったらよかったのにな」と須藤。

 二年一組は、以前の面影を残していなかった。

 声をあげる生徒の代わりに、五匹の〈鼠〉がいた。

 〈鼠〉たちは、机や椅子にかじりついていた。

 僕らが入っても見向きもしない。

 カーテンが閉じられた薄暗い教室に、黒い物体が蠢く様は異様だった。

「クラスメイトが来たのに挨拶もなしかい?」

 須藤は〈鼠〉に問いかけた。

 無論、答えはないし、応えもない。

 僕はカーテンを開け、窓を開けた。

 熱風がおだやかに歩み、光は迅速に部屋を照らした。

 蜂の巣と見紛うほど、穴だらけの教室が露呈した。

 僕は目を閉じたり、細めたり、左右に動かしたりして、その様子を観察した。

 そうしているうちに、僕の心に意外な感情が芽生えた。怒りだった。

 何もかも壊されてしまった。

 何もかも失くしてしまった。

 なぜこんな目に――。

 僕は〈鼠〉に歩み寄った。

「殴るのか?」

 僕は〈鼠〉の体をつかんだ。

 やわらかかった。

 だぶ肉のような感触で、片手で持ち上げることができた。

 重いバッグを持ち上げたようだった。

 〈鼠〉は足をばたつかせている。

 須藤は笑った。「無駄だよ」

「わかってるさ。だけど、こいつが悪いんだ。僕らの生活をぶち壊した」

 僕は〈鼠〉を壁にたたきつけようとした。

 体をひねり、腕に力をこめた。

 しかし汗で濡れた手から、〈鼠〉がすべり落ちてしまった。

 魚のようなぬるりとした感触だった。

 落ちた〈鼠〉は、教室の隅のほうに逃げ、今度はロッカーを喰いはじめた。

「これでよかったんだ。どうにもならないんだから」

 〈鼠〉が世界を喰らう音が、教室に流れ続けた。


       ■


 階段を上るごとに、気温も上昇した。

 汗が大量に出る。

 文字通りの意味で濡れ衣を着せられた僕らは、左右の足を動かすという単調な動作を繰り返す。

 熱中症になる危険性が十分に考えられたが、前を進む須藤についていった。

 須藤はポケットに手を入れたまま、平然と階段を上っていた。

 屋上に行こうと、須藤が提案したのだった。

 ぽたぽたと落ちる汗を眺める。

 ヘンゼルとグレーテルのパンくずのようだった。

 いや、たとえが悪い。それでは帰れなくなってしまうではないか。

 頭がくらくらする。

 その頭の中では思考が空転していた。

 自分の教室以外にも、様々な部屋を見てまわった。

 どこも同じような状況だった。

 〈鼠〉、そして多数の穴、残骸。

 気を滅入らせるには十分だったが、発見はあまりなかった。

 ただ、美術室に飾られた絵画が印象的だった。

 この学校の窓から見える風景画らしい。

 〝らしい〟というのは、絵が〈鼠〉に喰われてぼろぼろだったからだ。

 このように僕らの街が腐敗してゆくかと思うと、虚しくてしかたがなかった。

 上に行くにつれて、どんどん暑くなっていった。

 僕は思考を停止する。

 ただ、階段を上ることに努めた。

 生死を彷徨いながら歩き、やがて静止した。

 最上階だった。

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