【ショートショート】雨やどり
- 弑谷 和哉
- 9月5日
- 読了時間: 6分
雨の日は、家でゆっくりとするのが一番である。
それが後藤の信条だった。
緑茶をすすりながらテレビを見ていると、ドアチャイムの音が鳴り響いた。
くつろぎの時間は、少しの間おあずけというわけだ。
後藤はカップを置き、テレビを消した。
「はいはい、今行きますよ」
そう言って、玄関に向かった。
インターホンなどというものは、後藤の住んでいるアパートにはついていない。
木造の古びた建物なのである。
床を歩くとぎいぎいと音が鳴るし、すきま風もひどい。
しかし、後藤は趣のある良いアパートだと思っている。
住めば都というわけだ。
建てつけの悪いドアを押し開くと、そこには異様な人物(?)がいた。
頭は三角形で、頭頂部がとがっている。
触手のような足は八本あり、腕は二本。
その姿はイカに似ていた。
人間の大きさをしたイカである。その気味の悪い紫色の体色を除いては。
雨でずぶ濡れになった体は、ぬめぬめと光っていた。
そのイカのような生き物は、口のような小さな穴から声を発した。
「雨に降られましてね。どこか休める場所はないか、と探していたんです」
心配そうに、後藤は言った。
「大丈夫ですか。寒かったでしょうに。さあ、中に入ってください。それじゃあ、かぜをひきますよ」
後藤はおそらく手であろう触手の先端をにぎり、家の中に引き込んだ。
これにはイカのような生物も驚いた。
「私のみてくれに何も思わないんですか。私はその、自分で言うのもなんですが……宇宙人なんですよ」
不思議そうな顔をして、後藤は言った。
「宇宙人でもなんであっても、雨やどりはするでしょう」
今度は宇宙人が不思議そうに首をかしげた。
後藤は手近にあったタオルを手に取り、体をふこうとしたが、「自分でやるから大丈夫ですよ」と宇宙人が遮った。
宇宙人は器用にタオルを腕でつかみ、体中を拭いた。
タオルはぐっしょりと、水がしたたるほど濡れていた。
「もう一枚タオルがいりますね」
「いや、いいんです。もう十分ふき取れましたから」
「でも、まだ濡れていますよ」
「いや、これぐらいが調度いいんです。体表に水分があるほうが、活発に活動できる体質でして」
「すみません。配慮が足りませんでしたね」
後藤は軽く頭を下げ、自分の座っていた座布団を差し出した。
後藤の家に来客などめったにない。
座布団は一枚しかなかったのである。
「ここにお座りください。今、お茶を淹れますからね」
幸い湯のみは二つあった。
宇宙人のために食器棚から湯のみを取り出し、ちゃぶ台をはさんで宇宙人の向かいに座った。
ポットから急須に湯を入れ、二つの湯のみに交互にお茶を淹れだした。
宇宙人はその間、きまずそうにうつむいていた。
さしだされたお茶にも、すぐには手を出さなかった。
それも当然である。
地球のお茶というものを、宇宙人は飲んだことが無いのだ。
宇宙人は初めてこの星に来たのだった。
ためしに口をつけてみると、熱くてとても飲めそうになかった。
そして、苦い味が宇宙人には合わなかった。
「どちらの星からいらしたんですか」後藤は満面の笑みで尋ねた。
「まあ……四光年ぐらい遠くの星ですね」
「四光年。それは遠い」
後藤は心底驚いた様子だった。
「どうしてこの星に来られたんです? 何かの調査ですか?」
「調査といいいますか……個人的な知的好奇心ですね。旅行みたいなことです」
「なるほど、宇宙旅行ですか」
「ええ。しかしおもしろい星ですね。文化レベルも高そうだし……」
宇宙人はあたりを見回した。
汚い部屋であったが、テレビやエアコン、電子レンジなどが目についた。
なかなかの知能だと宇宙人は思った。
ちゃぶ台に乗っている奇妙な黒い物体に注目し、「これは何ですか?」と取り上げた。
後藤は微笑んで、「かりんとうですよ」と答えた。
「この星のお菓子です。食べてみてください」
宇宙人は困惑を隠せなかったが、進められたので断ることもできない。
触手で黒色のそれをつまみ、ぎょろりとした大きな目で仔細に観察した。
そして、小さな口に押し当てかりかりと食べ始めた。
後藤はお茶をすすりながら、「どうでしょうお味は?」と聞いた。
宇宙人はそれに答えず、かりかりとかりんとうを食べ続けていた。
何かの機械のように、宇宙人の口はかりんとうを吸い込んでゆく。
ついには丸々一個食べてしまった。
ふいに宇宙人は震えだした。
後藤は「あっ」と叫び、宇宙人に注目した。
宇宙人はかすかな声を発した。
「なんておいしいんだ……」
後藤は聞き取れず、「何ですって?」と聞き返した。
「おいしいといったんですよ! このほどよい甘さ! 何とも言えないやわらかな食感! こんなものは食べたことが無い!」
拍子抜けしている後藤を尻目に、宇宙人は皿に盛られたかりんとうを貪り食い始めた。
「ああ、うまい! なんてうまいんだ!」
大きな紫色のイカのような生物が、かりんとうを貪るという異様な光景から、後藤は目をそらした。
ふと脇の窓を見やると雨がやんでおり、青い空に悠々と雲が漂っていた。
後藤は宇宙人に向かって言った。
「見てください。雨が止んだようですよ」
宇宙人は四本の触手に――今や足も手のように使っていた――それぞれかりんとうをもちながら外を見て、「本当ですね」と言った。
口の中がかりんとうでいっぱいだったため、ほとんど言葉になっていなかった。
宇宙人はお茶を口に流し込み、とんと湯飲みを置いた。
「帰ります。ごちそうになってしまってすみません」
皿にはかりんとうが一つも無かった。
「いえいえ、何ならお土産にどうです? かりんとう」
「えっ?」宇宙人は思わず大声を出した。
後藤が棚を開くと、かりんとうの袋が一つ入っていた。
かりんとうを小さな紙袋に入れ、宇宙人に差し出した。
宇宙人は二本の触手で、丁寧にそれを受け取った。
「どうもありがとうございます。迷惑をおかけして、こんなすばらしいものまでもらえるなんて……」
「いいんですよ」
後藤はそう言って、宇宙人を玄関に促した。
宇宙人は玄関先で恭しく礼をし、
「本当にありがとうございました」と言って去って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで、後藤は手を振り続けた。
アパートを出ると、宇宙人は足の中に隠していた通信機器を取り出し、本部に連絡した。
「地球についての調査報告ですが、かなり荒廃していますね。核戦争があったようです。もう放射能で汚染されてしまってどうにもなりませんよ。この星を侵略するのはよした方がいいかと思います」
宇宙人は虚偽の報告をした。
本来、宇宙人たちにとって地球は絶好の惑星だった。
空気は澄んでいるし、多種多様な植物や動物が生息している。
人間のテクノロジーもとるにたりないものだ。
三日もあれば侵略できるだろう。
しかし、後藤に丁重にもてなされた宇宙人は、侵略などさせたくなかった。
地球人は親切ですばらしい生物だと思った。
そして、かりんとうというとてもおいしい食物までゆずってくれた。
さっそく自家製の物体複製機で、かりんとうを大量につくるとしよう。
宇宙人は着陸させてある宇宙船に歩んで行った。
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